赦されることを信じていない
いまだに、人が罪を赦すことが信じられない。
傷つけたとき、迷惑を掛けた時、謝って済むモノではないと思えばそれだけ、謝罪に身が入らない。
赦しなど得ることが出来ないとなればなおさらだ。
人が多くの過ちを犯しても笑って生きていけるのは、
人の心は罪を「許す」のではなく、「こだわらなくなる」からではないかと思っている。
赦されないなら、罪は背負うしかない。たとえ神に懺悔しても、隣人の赦しは得られないのだから。
悪に一時もかりそめもない。
一方で、町内や会社では赦すことは重要な義務でもある。
赦す事が出来なければ、組織は規模を維持できなくなるからだ。
組織の構成員として、赦しを他人に見いだすことが必要な時期が来てるようだ。
役割で割り切れないところを割っていく事は出来るのか。
日々試されている。