”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

新しいことへ挑む力へ(湯河原2005総括)

先行きに不安を覚えつつも、
現状の能力で十分に対応できる仕事、
人付き合いに疎く、
目新しい人間関係より、
目新しいアニメを追いかける生活。
中途半端にまとまっている生活を見つめ直すべく、
湯河原へ一人旅に出た。

旅館の女性を見て連想した片思いの彼女。
去年の冬、転職活動の面接で、
この先頼るには無力な小企業への
未練を語ったときと同じいじいじしている
自分が見える。

一方で、一人故の強さを発見した。
バスの時間がわからなければ、運転手に聞く。
一人だけあじフライ定食を食べる。
道に迷っても引き返すのは自分本位で。
行けるだけいってもいい。一人後悔するだけさ。

会社で過ごす時間が長くなると、どうしても、
「いままでは…」
「○○さんのほうが…」
といった、最善策であることばかりで、
毒にも薬にもにもならない判断が続き、
「誰に聞けばいいですか」
「まえはね…」
といった無能丸出しの行動が
最善であるかのような感覚に陥る。
前と同じなら、誰かと同じなら大丈夫といった価値観。

しかし、ちょっと考えてほしい。
前と同じといっても同じタイミングではないし、
誰かと同じといっても、その誰かではない。
だから大丈夫というのは
合理的な発想ではなく、
ルーチンワークにおける約束事でしかない。

例えば、明日やることが、
今までと同じでも、
今までと違っても、
同じ新しい明日でしかない。

どのように過ごしても新しいのであり、
明日何かが起きて
失うことが怖いのも、
貰うのがうれしいのも、
杞憂でしかない。

でも、人は心配し、
知らないことを恐れる。
私にとってそれは
女性であり、他人であり、自分の本気だ。

有り体に言えば、
結婚したら、出世したら、作家になったら、
どうなるのかが怖いのだ。

「変わることは変えられない。
 けど、どう変わるかは変えられる」

30歳目前、もう少しあがいてみます。

ということで
今月から普通二輪免許をとるべく教習所に
通い始めました。
バイクを買う見込みは立っていませんが…。