”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

悪い見本はいい見本だよね?

子どもが悪い知恵をつけないようにと教育的配慮に励む人たちがいる。
例えば

・性交について説明するとまねするので実践的性教育に反対。(コンドームの付け方もNG)
・暴力ゲームのせいで犯罪が増えるので販売を制限(日本だとエロゲーとか児童ポルノが)
オレオレ詐欺の手口がまねられるので、報道するべきでないという意見。

これらのありがちな、不安につけ込んだ発言は、
「大人の責任感」
から来たのだと主張するのだろうが、
それはどうだろうか。
あえて異論を唱えたい。

・暴力的なフィクションには怒るのに、戦争に関する情報はふんだんに特に第二次大戦の日本の戦災に関しては与え、脅すこと。究極の暴力戦争の効率のいい仕方を学習しろというのか?

・偽札を作った中学生に怒ったり、あきれるばかりで、その行為自体を否定する根拠をもち得ない権力への不信感いっぱいの日本の大人にこの子を説教できるのか。

少子化を騒ぐ一方で、性教育はおろか男女交際に関する教育さえおざなりとなっている。(共学であれば理解できるなら苦労しませんよね)あわてて成人男女を教化しようにも、異性観、性に関する態度の二極化がそれを阻む現実。

実情を見ない・見せない結果生まれるのが悪い見本だと思うのです。実際ひねくれた悪い大人の見本ならここにもいる訳ですよほんと。
子どもを守ることは、前進するための価値観を伝えることであって、見せないことで守るのではない。
悪の存在を認めつつ否定する態度を取ることが大人の役割(=ロールプレイ)なのだと主張したい。