”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

転職活動って、進んでいるの?血迷っているの?

「ああっ、どこにそんな時間ががあるんだ」
といいつつもなんとか仕事の隙間を見つけて試験&面接へいった。
受けた会社の職場、面接の雰囲気も悪くなく
転職エージェントとの演習の成果か、
そつなくこなすことができた。

その日のうちに一次面接が通過したと連絡が。
よかった。

よかったのだが、
人事の人にいわれた
・当面はCOBOLの仕事になりますすけど。
・残業代は年棒に込みですよ。
という点が気になる。

一方で仕事に手間取り、
納期オーバーのため土曜出勤して仕事を片付ける。
現業でトラブルが起きると自分のやっている
転職活動の意味が先に進んでいくためにやっているのかただ現実逃避のために血迷っているのかよくわからなくなってくる。

ただ、これまでの経験からいうと
仕事は信念の前には道を譲るもので、
仕事の成果は勤務時間ではなく
仕事に対する姿勢に対して発生するものである。

とくにその信念が
「家族を最優先」
といった人はとにかく強い。

とにかくメリハリがあるので、
仕事をだらだらとしないし、
仕事をちゃんと割り切っているので
無駄にこだわることもない。

信念がないひとほど、
きつい状況いわゆる
デスマーチプロジェクト
に圧倒されてつぶれることが多い気がする。
むろん、家族持ちは家族を優先して
仕事をセーブする傾向ががあるにせよだ。

仕事に限らず
依頼されることで、
成り立つ事柄は、
すべてを背負うとつぶれる可能性がある。
いわば
「お客様は神様で、やるのは人間」
だからで仕方のないことともいえる。

また、私は仕事に圧倒されることがある。
納期オーバーになると特にそうだ。
やると言ったのにできないということに
圧倒されてしまうのだ。

だが、仕事を「断る」のは
自由業なら当然のことというか、
「おいしくない仕事」を断ることで
「おいしい仕事」の選択権を得ていかなくては
収入増は自ずと限界がある。
時間は限りあるものなのだから。
むろん、断る自由は収入の不自由につながる。

つまり、仕事が容易に「完全」とならないのは普通であり、調整能力が要求される。
結果、調整基準を持つと仕事はうまくいくのだろう。
特に家庭を持つことは唯一の庇護者となるほぼ唯一の方法なので、仕事を相対化する基準として最強なのだと今は理解している。

20代のどん詰まりで私もがいているのは、
会社の言うことにNOと言わなければ
会社とはうまくいくだろうといういわば仕事に対する
無防備な姿勢が問われているのかもしれない。