【既刊再掲】未恋たらたら【第二回】
【既刊再掲】未恋たらたら【第二回】
唐突で申し訳ないが、良は、素足フェチである。当人はクールにとらえているが、実際のところは、目線はあからさまに、素足を、白くて血色のいい女性の脚を求めている。
それもまっすぐで健康的なのが特に好きである。高志はよくたしなめるが直る気配はない。というわけで、グラバー邸を出た良は、ある女性の尻を追いかけている。誰かの後をつけるのは良にとって初めてである。女性に対しておくてな良にとっては、眺めるだけで十分気持ちよく、また、心のどこかで追い求める対象としてはしたないと思っていたからだ。
水色のカットソーに黄色のフレアスカートの女性は地元の人のようだ。足を止める店はどれも、流行のブランドショップや、セレクトショップだからだ。いつ振り返るか良はビクビクしながらあとをつけている。声をかけようとか、写真をとろうとか目的があった訳ではない。ただ、今回は目がはなせなくなったのだ。
良は、ビクビクしながら、女性の足をなめるようにまたみた。涼しげな籐のローヒールから緊張感のあるラインからくすみのない膝裏。緊迫感はスポーツをたしなんでいるからだろう。そして、明るいオレンジ色のふともも。血色がよくて、まぶしいばかりだ。髪は後ろにまとめている。黒髪だ。あと気づいたのは、肩ぐらいまである束ね髪は揺れていないことだった。歩き方がいいのだろう。姿勢もピンとしており、よくいる猫背女とは違う雰囲気だ。顔はどうだろうか、かわいい系だろうか、きつめ系だろうか、知的美人だとだったらいいな、などと妄想を繰り広げているうちに、後ろ姿の女は表通りへ出て、路面電車に乗るべく安全地帯へ歩いていく。良はつけてきたことがばれはしないかドキドキしながらも、間に二人挟んで電車待ちの列に並んだ。
病院を出た高志は、長崎駅前の喫茶店で良を待ちがてら、新聞を広げていた。
今晩のことで気もそぞろな高志が新聞を読んでいるのは稲佐山の情報をチェックしておこうと思ったからである。
なりゆきで登ることにした稲佐山だが、コンサートなんかやってたら、夜景どころでない騒ぎだろうから、あらかじめ調べておくことにしたのだ。
その点、地方の新聞は親切なので、ぴあを買うまでもなく、新聞でことが足りる。東京ではあり得ないことだろう。下手するとふつうの人の結婚が記事になってたりする。東京で新聞といえば全国紙だが地方では存在感が薄い。地方の新聞は情報力が地域に関して向いている。方向性は違うが情報が濃いのだ。だから読まれる。催事の記事を探してみる。今日はなにもないようだ。新聞は終わりにして他の雑誌でも読もうとたたみ始めた新聞の記事が目に留まった。
「本県産果物初の海外出荷」の記事に載っている農家の名前に覚えがあった。
諏訪順一郎。小中と一緒だった奴である。高校以降なにをしているかと思えば、ちゃんと家業を継いでいたんだと感心する。農園の電話番号が載っていたので、驚かすべく、電話番号登録しようと携帯電話を鞄から出してみると、良からの着信があったらしい。早速、喫茶店の入り口のポーチにでた高志は良に電話をかけた。
女のあとを追って載った電車から良が降りたのは、待ち合わせの長崎駅前ではなくかなり手前の出島だった。とはいえ、市街は狭いので、歩こうと思えばそれなりにいけるが、カンカン照りの中を歩こうと思ったのではなく、もちろん、女性のあとを追うためだ。電車内で横顔は見ることが出来た。丸い顔だった。かわいい系だ。良の中では
知的美人>かわいい系>きつめの美人
という価値観で女性を品定めする良にとって彼女の横顔は好ましい容姿ということになる。彼女はアーケードをドンドン進んでいく。電車に乗る前と違い、わき目も振らずに。急いでいるのかもしれない。足をのばして歩いていく。着けてきた良もそろそろ高志との待ち合わせ時間が気になり出していた。
どうしようか。思い切って声をかけてみようかと良は、うじうじしていた。
「っと」
考えすぎて周りが見えなくなっていた良は、女とぶつかってしまった。人もまばらなアーケードなのに人がぶつかってきたので、びっくりしたのだろう、即座に反応が帰ってきた。
「ちょっと、なにすんの」
振り返りざまに女のヒジが、みぞおちに決まり、うずくまる良。
「大丈夫ですか」
と女に声をかけられた良は
「ええ」
といったかと思うと、アーケードの外へ走っていった。アーケードを抜けるなり良は側溝に向かって吐いていた。女が良を追って来た。
「大丈夫ですか、すみません」
「大丈夫です。これでも、大丈夫です」
「そうですか」
「失礼します」
良は口元を手で拭うと、長崎駅へ向けて歩きだした。
結局、良が高志と落ち合ったのは30分後だった。吐いた後、公衆便所で口をすすいで、良は気分を取り直していた。
「美女のヒジ鉄でダウンってどうなのよ、俺って」
高志は少しうんざりした。良がこの話をネタにするであろうこと、イヤでも飽きるほど聞かされるであろうことが目に浮かんできたからである。
「相手が、ミラ・ジョゴビッチなら、自慢になったかもね」
浮かれる良を牽制しつつ、携帯を気にする高志。
「高志、携帯見すぎ」
良がつっこむ前に、高志はまっしぐらに喫茶店を出たかとおもうと、誰かと連れだって戻ってきた。
「紹介するよ、こちらは、メル友の涼子さん」
「・・・・」
「・・・・」
良と涼子の顔を見比べる高志。しばし沈黙。
「さきほどは」
「いえ、いえ」
「えっ、さっきの話って」
「ん?顔になにか付いています?」
「いえ、いいえ」
半時も経たないうちの再会に一同驚きながら着席する。アイスティーを注文してから、高志は良が話した涼子についてかいつまんで説明した。
「ははははっ、ひどいおもしろいわ」
素直そうだと高志は改めて好感した。良はというと話を振りたいようなのだが、飛び込み台に立ったかのように踏ん切り悪く、そわそわしている。
「落ち着けよ、良」
「落ち着いているよ」
「そうか。じゃあ本題に入ろうかな」
姿勢をただすとおもむろに高志は宣言した。
「今晩、プロポーズする。協力よろしく」
涼子はまた笑った。
小学校でのことを少なからず聞いていた良にとっても、唐突に高志が大西恭子に、今日プロポーズするといいだしたのは良を驚かせた。けれどもっとびっくりだったのは大西恭子の近況について、知ったのはほんの一月前、もう一人の京子、佐藤京子に知り合ってからということだった。
「二人はどうやって知り合ったの?」
「それはねえ、出会い系ってところかな」
なにげなく京子は答える。
あわてて、高志が付け加えた。
「同窓会サイトで、知り合ったんだ。同じ高校だったらしくてね」
「らしくて?」
「女子校なのにねー」
「悪かった。それは言うなよ」
つまり、大西恭子の同級生を探して見つけたのが、佐藤京子だったらしい。
すきあらば、ナンパするのがネットの常だね出会い系というもんと言う奴もいれば、目的外利用は言語道断という人もいる。
まあ、この場合はナンパではなく聞き込みだったわけだが。そして、驚くべきは、佐藤京子と同じ職場に大西恭子がいるという偶然だった。当初、近況が知りたくなった程度だった高志だが、距離が一気に詰まったのでこれは運命ではと色めきたったという。
職場というのは、「瓦斯灯(がすとう)」というクラブで、源氏名は佐藤京子がかなえで大西恭子がみさおということだった。
プロポーズは、クラブが終わってからということで、京子と高志の打ち合わせがひとしきり終わると、高志と京子の二人は、多愛のない話に花を咲かせた。良はついていけず、ありがちだが、内心いじけていたりする。
仕事に向かう佐藤京子を見送ると時間は夕方の5時になっていた。
「めし、食いにいこうか」
高志はこともなげに言うと、長崎駅へ歩きだした。
「大丈夫なのか、そんな、のんびりしてて」
良がいらだった様子で言い返す。状況に取り残されていたことがいまさらながら効いてきた様子で、心ここに在らずといったところか。
「準備は出来てるよ。いつでくわしてもいいようにいろいろと鞄に仕込である。そもそも、この旅行を言い出したのは俺だし、手配したのも俺だ。心配無用だ」
良には高志の気張りが、頼もしくあり、痛くもあったが、吐いたこともあり、空腹だったので、素直に高志の仕切に従うことにした。
早めの夕食は当初の予定どおり、
長崎駅地下の「吉宗(よっそう)」で取ることにした。
店内はまだ夕飯には早い時間だったが、おもいのほか人は入っていた。よくある和食の店といった感じで、ほっとする雰囲気だ。良も高志も茶碗蒸と蒸し寿司のセットを注文した。これは夫婦蒸しと呼ばれるこの店の名物なのだ。
料理が出てさあ、食べようという段になって、それまで黙っていた高志が
「京子ちゃんにちゃんとアプローチしたら良いんじゃないか」
といいだした。良は
「どうでもするさ。人の勝手だろ」
茶碗蒸しをつつきながら、はぐらかしにかかる。良は嘘よりは隠し事をよしとする。ちょっと卑怯なところが有る。特に恋に関しては、した方の負けみたいに言うことさえある。いつもなら、そっとしておく高志だが、今日は容赦なかった。
「良、あれだけメロメロな話してたのに、ご本人さん登場でだんまりかよ。いつもそうだよな。好きすぎて近づけないとかいって、結局自分がかわいいだけだろ」
「大学の時もそうだったな。ちょっとかわいくて人気がある娘に気があるのに、競争率高いって聞いてあっさりあきらめたりさ、だめ。怒ってんだよ、まじで」
昔のことを蒸し返され、良はちょっと頭にきた。
「高志、大学でのことを言うなら、自分は女に興味がないといった顔で、人の恋愛模様を酒の魚にしてただろ、それは意気地なしと言わないのか。今回は友達の女友達だからさじっくりいこうと思った訳よ。それよか、今日の計画って、無茶としか思えないぞ。小学校以来の娘にプロポーズなんて。世間知らずのする事だろう普通」
高志は応えることなく
「お互いがんばろう」
としか言わなかった。それから良は黙々と料理を平らげ、高志もそれに倣った。料理を食べ終え、高志が、
「とりあえず出ようか」
というと、良が
「なら、電話番号を教えてくれ。今晩店に行く」
とぶっきらぼうに言った。
良は「瓦斯灯」のかなえに連絡をとり、一人向かうことにした。どっちにしろ、高志は恭子に気づくかもしれない。その手の店に行ったことがないので、不安はあったが、かなえに、
「ばっちり、フォローしてあげるから」
といってもらっていた。当然、指名する事を約束させられたがいたしかたないと良は割り
切ることにした。彼女が夜の女と知ってしまった以上、いつ口説こうが関係ないだろうしと考えることにした。
一方高志は、ホテルに戻り、荷物をひっくり返していた。といってもそれはすぐに見つかった。小学校の卒業アルバムだ。
「いま、どんな顔をしているんだろうな」
アルバムをめくりながらぽつりとつぶやく高志。そんな昔の写真を眺めるより、とにかく今の姿を見るべきなのはわかっていた。高志本人も。十年以上会っていないのだ。
とりあえず会ってみてから
「やーめた」
といってもだれもあからさまに意気地なしとは言わないだろう。このまま押し通す方がどうかしている。京子が協力してくれるのもよくわからなかった。とりあえず感謝はしているが、後が恐いとも正直思っている。結局のところ、高志は不安なのだ。思い描くような大人の男はほど遠い。高志が食品会社の営業職に就いたのは、人付き合いに関して自
信が有ったからだ。入社以来高志は、職責以上のマメさで人付き合いをしてきた。そうすればそれなりの人とつき合うことが出来、成長できると思ったからだ。したつもりだったが、会社がらみの人脈からは友達はなかなか出来なかった。仕事を離れると、無性に寂しくなった。彼女を作ったこともあったが、けなげな女性に惹かれるくせにふとしたときにがどうしようもなくバカに見えて気持ちがさめるのがオチだった。童貞パソコンオタクの人間失格コースまっしぐらの良に比べればよほど贅沢な悩みではあったが、人生の先行きが未だに見えないのは人生勝ちに行っている高志に取っては誤算というには重くのしかか
る現実だった。
「さて、とっておきをいきますかと」
ガーメントから濃紺のスーツを取り出す。そして、色合いを合わせて買った赤のネクタイほか、新品の下着を引っ張りだす。時計の時間を6時のニュースの時報で合わせると、風呂に湯を張り始めた。