【既刊再掲】「プログラマ探偵(PG.D)」【第1回】
「プログラマ探偵(PG.D)」【第1回】
Day1【前編】
事務所の電話が鳴ったのは倫子がファンシーモンスターを切り伏せたと同時だった。
倫子(りんこ)は
「ちっ」
と思いながらも、一応仕事の時間なので電話をとる。
「はい、解解(げげ)です」
電話の主は来来(くるき)だった。
「ゲームしてたでしょう。メール読んでくださいよ、はやく、今すぐ」
「はい、はい」
倫子は正面のオンラインゲームを手早くログアウトすると、右の画面のメーラーの新着を確認する。一応スパムメールは振り分けているので未開封のメールは10件とたまってない。
「社内中に一斉に出されて大騒ぎになってるんですよ。急ぎなんでそのまま転送しました」
来来からの転送だけを見ればいい。言われるまでもなくその程度のことはもうやってある。それらしいのを開けるなり倫子が電話に返す。
「来来、一番物騒なやつか?」
画面には
Subject : Fwd : 破綻処理開始の連絡
といった一連のあらかじめ用意しておきましたといった文言が並ぶ。
「で、どうしたの。どうせ誰かがバグ出しただけでしょう」
「そうじゃないんです、絶対に何かが起きているんです。とにかく」
要領を得ない。倫子はいつもながらと思いながらげんなりとする。
「あっそう。じゃあ、箇条書きにでもしておくって。こっちはこっちで調べてみるから」
来来からの電話を切る倫子の頭上で時計が鐘を打つ。15時の鐘だ。左の画面を見ると、東証のティカーが止まっていた。
何度も長い髪をかき上げて何とか業務報告をメールソフトの時限送信リストに仕掛けると、倫子は台所へ作り置きの麦茶を取りに行った。これはいわば頭を切り替えるための儀式だ。彼女の日常へのこだわりらしいモノは彼女の生活にはこれくらいしか見あたらない。
最近ではさらに磨きがかかり、着の身着のまま、着るものはすべてしまむらの特売、食事は電子レンジで調理可能な食品しか口にしなくなっていた。そんな真っ当な引きこもりになってまず初めたのが、倫子自身のためにお茶を自分で入れることだった。職場へ行っていたときは何となくペットボトルのお茶を飲み、同じ職場の中国人がステンレスボトルにお茶を持ってくるのを物珍しく見ていた気がするが、立場が変わればなんとやらで、いまや倫子にとってお茶は自分でいれるのが当たり前になっていた。
最近倫子はしみじみ思う。いらついていたのは違和感だったんだ、どうすることも出来ないと思い詰めていた気持ちをふと思い出す。食事でたとえるなら、魚の骨ごと食べるのが当たり前だったのが、骨を取るようになって、変に感じる感覚だろうか。いや、父がししとうのへたを残したことへの違和感の方が的を得ているかな。今日のお茶は凍頂烏龍茶、通販して置いた買いだめお徳用100gだ。
「それいけ、熱湯」
倫子が沸騰したお湯をポットに注ぐ。なみなみと注ぐ。お茶のいれ方はいまだに機械的にしかできていないが、茶葉がいいせいだろう、違和感なく口に入れられるモノが出来る。倫子にとってはありがたいことだった。ガラスの急須にお茶が出始めたところでまた電話が鳴った。電話を取ると、来来だった。少しは落ち着きを取り戻しているようだった。
「システム管理部からのメールを見る限り、違和感はありますが、つじつまは合っているようです、メールを転送しておきます。」
来来としてはシステム管理部にがんばってもらって、バイトに専念する、そう決めたらしい。電話での声もいらつきは隠せていないが、言っていることは冷静そのもの、ごもっともである。残業不可の仕事を抱えて野次馬根性で動くのは、馬鹿っぽい探偵のやることだ。それがまっとうな社会人というもんだよね。でも、メールを投げてきたのは未練か。謎解きは年中無休かつ年中休暇中の引きこもりプログラマの好物って誰か言ったっけ。
空けたポットにお湯を注ぎお茶のおかわりを待ちながら部屋をうろうろとする。来来の話から今日のアルバイトは、いわゆる
「ゆるい」
仕事だと了解している。バイトというのはもちろん、破綻処理メールの件ではない。元々の依頼はシステム部部長個人の依頼で、これまでやり取りしていた個人的メールの削除、それも特定の社員とのやり取りを跡形なく消すことだ。お茶をマグカップに入れて机に戻り、メールにある会社名「K社」でWEB検索をかけてホームページをのぞいてみる。
「これか、これか、はやりのプライバシーマーク取得したのか」
最近は情報管理が厳しめの会社が増えていて、社内からyahooさえ見られない平社員からの依頼だとそれなりに下準備に時間がかかるのだが、何せ依頼主が管理者様直々なので楽勝街道まっしぐらだ。唯一の難点は、時間制限が厳しいこと。システム部部長が執務室引き払いに与えられた時間である午後1時から5時までの4時間でメール本体から、ログおよびバックアップの削除を行わなくてはいけない。痕跡は残せない。残せばなおさら疑われるからだ。まあ、ちょっとした仕事人気分だと来来は言っていたな。
来来のトラブルが不発に終わったようなので、仕事を切り上げて空けた時間で解解は書類の整理をすることにした。まずは要らない書類ファイリングから取り出し机に積み上げる。引きこもり故、書類は持ち込まれるばかりで減ることがないし、一応は仕事の時間で電話番はしなくてはいけないこともあった。机の書類をホチキスで止めているか、止めていないかでよりわけ、止められていないものは床にぶちまけ、ホチキス付きはホチキスを取り外してから床にぶちまけた。
「あーさっぱりするねえ、ものを捨てるって」
解解が来来を押し切って大型のディスプレイ3台そろえたのは、資料を画面に表示させっぱなしで作業できるようにすれば資料をいちいち印刷しなくても仕事になる環境を作りたかったのだけど。
「デジタルは怖いってみんな頭堅いよなあ」
解解のぼやきをよそに、企業向けの大型シュレッダーがうなりを上げて、終わった仕事の資料をみじんに砕いていく。昨今の個人情報保護の事故のあおりで、電子データの外出しを嫌う会社が増え、まわりまわって、SO-HOでの日課を増やすことになっているわけだ。ついでに来来が持ち込んだフリーペーパーや買ってこさせた雑誌をコンビニのビニール袋に放り込んで部屋から追い出す。買わせたものをさっさと捨てることが気になりつつ、それとしてと思いつつ、捨てるものの多さに解解は、
「これだから、お節介のわからずやは駄目・な・ん・だ」
とわめくと、雑誌の入った袋を廊下に投げつける。投げつけると、前髪をしごくようにいじりながら机での部屋の資料整理に戻る。そんな感じの繰り返し。唐突に激情して、普通に戻る。部屋にこもりっきりの解解にとって相手のいない八つ当たり。そんな感情のままごとが必要だったりする。解解にとって来来は雑誌に限らずいろいろと押しつけてくる存在、鎖国中の解解にとってのいわば黒船だ。慣れたつもりでも、
どうしてもいらだつのだ。彼の鈍い故の強さが。ポリ袋で2袋を仕事部屋から追い出したところでシュレッダー作業は終わり、お茶の三煎目をもって机に戻る。机の携帯に着信あり。来来からだ。メールではなかった。
来来からの着信。急ぎのなにかと、解解がさっそく電話してみると、
「先輩、不倫ですよ、いや、でした」
と、早口でまくし始めた。さらに続けて、
「メールの相手やっぱり女性でしたよ。曜(よう)さんて珍しいんだもの。社員名簿を探したら一発でしたけどね」
「二人専任の仕事なんか作ったかでっち上げたかして、毎日やり取りしてますね、いいなあ」
「お泊まりも堂々と経費だし。ってただの徹夜かなチェックイン3時だし」
来来のどうでもいい与太話にあいまいにあいづちをうちながら、解解は、いらだつ。
「先輩っていわないでっていってなかったけ。もう」
いくら伏せたってねえ、秘密にしたいメールって言ったらねえ。察しなさいよ。そうゆう事情込みの仕事なんだから素知らぬ顔しておきなさいと解解は思いつつ、
「何すっきりしているの。もう、終わったの?」
と突き放した。
「ええ、メールをフラッシュメモリーにコピーしたら後は片付けだけです」
「そう、よかった」
トラブルに巻き込まれずに終わりそうで何より。いや、これでも気にしてたんだなと気づいて、いらいらの原因に腑に落ちた解解は、大きなため息をついた。すっきりした解解が電話を切ろうとすると、解解の安堵を聞きつけたのか、来来が今晩のごはんはと聞いてきた。
「もうそんな時間か、めんどいけど、なんかたべたいなあ。なんか買ってきてくれるかなあ」
きょうは動いたのでお茶のがぶのみじゃ寝れそうにない。
「来来、弁当でいいよ。中華弁当が気分かな、杏仁豆腐は必須ということで。じゃよろしく」
来来が反論もするまもなく電話は切れた。
「うーん、今日はオリジンかなあ、金あるし」
来来が壁を見上げて時計をみると終業まで30分を切ろうとしていた。
「やられた。エロぼけ部長め、残業代ふんだっくてやるからな。」
来来はあわてていた。部長から預かっていたフラッシュメモリーをPCに接続したところ、セキュリティ違反であること、サーバーに記録される旨の警告メッセージが出たのだ。
「ログアウトしてなくて、助かったあ。危ない橋を渡るときは、安全第一ってな。」
自画自賛する来来。踏ん切りの悪さと紙一重だけどなとつっこむのとセットだが。不都合なメールの痕跡を消すためのアカウントで、メールと同じように痕跡を消すことに問題ないことを確認すると来来はメールのコピーを始める。
「おい、でかいな。終わんのかよ、サーバー重いしだめか、こりゃ」
進行画面が変わらないことにぼやきを加速させる来来。メールのコピー自体は時間内に終わるとしても、コピー完了を待てるほどフラッシュメモリー使用の記録を消す時間はないので、平行して作業を行う。その後はとにかく時間との戦いになった。
5時まで10分前、コピー終了、
5時まで6分前、サーバーの書き換え、メールの削除完了、
5時まで2分前、PCの片づけ、
5時の時報と同時に、部長室を抜ける、
退社の渋滞に巻き込まれたが、
そつなくすり抜ける。
社屋前の大通りから少し裏道に入る来来。
待ち合わせ先のルノワールに落ち着いたのは、
5時8分になってからだった。
来来が喫茶店のアイスティーで一息ついている頃、解解は台所で、茶器やらヤカンやらを洗っていた。解解がひきこもりといっても、一人暮らしであることに変わりなく、それなりに家事もする。共同生活以外ならたいていのことは出来ると思っているのが、非常に危なっかしいと来来によく言われる台詞を解解はつぶやいていた。
「一回競りまけたぐらいで逃だして、結局、おやまの大将なんだろ」
洗い物を終え、タオルをもとどおりにかけなおす。水をいれたヤカンをコンロにかける。火はつけない、室温で水を温める、テレビでやっていた節約術だ。
「だからなんだ」
火がついたように解解は一人わめき立てる。
「来来を立てている。実力以上に見栄えがするとうぬぼれる、来来を立てている。それでいいんだろ。昔のことをしつこい。変に上に立とうとする、男の悪いところだ。いや、来来だけか?さあてな」
独りぼっちはろくなことを考えないものだ。
来来からのメールに気づいたのは、5時20分を回った頃。文面は
仕事完了、
文句がないならオリジンの
ナスの味噌いため弁当を買っていく
とのこと。別に解解に文句はなかった。けど、PSの部分に違和感を感じた。しばらく固まっていた解解は唐突に、紙片に何かを書き始めた。
オリジンのナス炒め弁当とエースコックのスープ春雨をハラに納めてしばらく後、来来は解解に、
「曜さんってどんな人だった?」
と聞かれたので、
「いかにもおじさん受けしそうだったけどなにか」
と答えると
「そう、なら問題ないわ。ちょっと気になったから」
解解の素っ気なさに、何か物足りなく、来来は聞いた理由を聞きたかったが、解解が台所へ立ったために、結局聞きそびれた。ゴミを片づけてから、食後のココアのためにコンロに火を入れてテーブルに戻ってきた解解が話を切り出した。
つづく