”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

既刊再掲「すこし FUSHIGI」【4回目】(終)

「すこし FUSHIGI」【4回目】(終)

 

理恵には簡単なことだった。薬を切らすのは規定違反だが、20世紀末の日本で、それも過疎がきびしい片田舎で見舞われる危険なんてない。先生はそういって笑っていたっけ。でも、ルールはルールだから、用が済んだら飲んでおかなくてはいけない。理恵はまたポケットの上から最後のタブレットがあることを確かめた。このくすりは感覚を研ぎすまし、予知にちかい感覚を得ることができる。

一方で、表情から、身振りから、テレパシー能力まであらゆる非言語コミュニケーションを押え込んでしまう。自閉症的状態を起こさせる薬なので、飲みたがる人なんてまずいないが、危険なことに関わることを避けるために旅行中の服用が強制されている。

理恵にはどうしても、恵一の助けが必要だったのだ。(私はここよ)おでこが下にひっぱられる感じがして、下の道を見てみると、理恵が背中をむけて立っていた。

「ああ、なんかいるよ」

恵一はためいきをついた。(元気ないわね。いいことを教えてあげる)

「どうかなさいましたか?」

武美が、おそなえの米を差し出した。いつのまにか墓石の苔は落とされ、花さしには榊(さかき)の葉がさされている。(時間ないんだから、ちゃんときいてよ)理恵のけはいが迫ってくる。(要点だけはなすわ。この先の自販機の前でうずくまっているから武美と一緒に来て。あとは適当にあわせてくれればいいから。うまくふたりきりになってね。よろしくね)

 

「なんなんだよ」

恵一はまたためいきをついた。まったく、昨日からあの子に振り回されること、振り回されること。正直、さっきの理恵は見なかったことにしてしまいたい。とはいえ、ほっておくとかなり危ない。返す足で実家に行って

「パパはどこ」

なんて騒がれたらそれこそ東京駅の二の舞だ。

「頼みごとしちゃいけないらしいけど、

今日いちにち平穏に過ぎますように」神頼みならぬ先祖頼み。不可解な現実に、いらだちつつもなにかにすがらずにいれない恵一であった。一通り済んで、おそなえを下げて(片づけて)皆が帰る時間になった。下をハイヤーも来ているようだ。

 

恵一はすこし思い切ることにした。

「岡田さん荷物をお持ちましょう」

めいばあさんの荷物をすべて引き受けることにした。めいばあさんはちらと恵一の顔を窺うと、さきにいってしまった。そして、武美が近づいてきた。

「すみません。こんなにもってもらって」

「いえ、べつに。あっ」

恵一はまたこけた。行きにこけたあの登りくちで。

 

*****

 

恵一は手をつけずに強くうった腰が痛かったが、せいいっぱい強がって見せた。

「大したことありません。急ぎましょう」

武美は

「そう、じゃあ急ぎましょうか」

とつれない。ちょっとがっかりした恵一だったが、「ちょっと、まってまって、まってください」なんとか二人で自販機に向かうことになった。

 

武美と恵一、二人きりになったせいか、話題は東京での生活の話になった。

「東京はどの辺りにお住まいですか」

「川崎です」

「大きな映画館ありましたよね。行ったことがあります」

「へえ、そうですか」

「恵一さんは、一人暮らしなんですってね。大変でしょう。私は、いまだに親にべったりで」

「いろいろ便利なものがありますからそうでもないです」

「たとえば?」

「桶は便利ですよ」

「へ?」

「オールおっけい、なんてね」

戸惑いの沈黙が流れた。沈黙にたえかねたのは恵一のほうだった。

「あの子一人でどうしたんだろう」

指差す先には理恵が立っていた。

 

武美が叫んだ

「あっ、あの子泣いてる」

武美の心配そうな顔に溜息をそっとついた。理恵は自動販売機前の道路で恵一たちから見て正面に立って泣いている。あからさまに助けを求めているのは明らかだ。しかも何回も大きくしゃくりあげている。恵一は

「何でだろう、行きましょう」

と武美を促した。理恵のそばに行くと、しゃがんで正面からじっと理恵の眼をみつめた。理恵の泣き顔には嘘はないと恵一は感じた。武美が側にきて理恵はさらに激しく泣いている。この子に関しては何もしらないが、武美との組み合わせは自然だった。恵一は絵になってるなあと見とれた。

 

なんとかしろ

 

恵一の沈黙に理恵が喝をいれた。理恵を武美がつかんで放しそうにない。武美は何か感じているのだろうか。とりあえず、恵一は武美から理恵を引き放すことにした。

「どうしたのかな、ジュースがほしいのかな」

引き放された理恵は首をふって理恵はすぐに武美のほうに戻っていった。恵一はこの展開に無理があったかなと心配した。

「そう、お金いれたのに出てこなかったの。ふうん」

話しているようだ。なんとかなったようだ。武美と理恵の話は進んで、とどのつまり、理恵は、お金をいれたのに自販機からジュースが出てこなかったと訴えているようだ。

「ちょっと見てみるから、おとなしくまっててね」

武美は自販機に向かい、恵一が理恵のそばに立った。恵一は思った。

こんなことがしたかったのだろうか恵一は思った。ぼそりと理恵がかえす。

 

こんなにうれしいことをこんなことって言うなよな、ばか

 

理恵の顔が、また泣きそうになった。武美が可笑しそうにして戻ってきた。

「平成三十年だってこの十円。冗談にしてもひどいわ。それにしても、変だわ、はははは」

武美はしばらく笑っていた。笑いのつぼにはいってしまったようだ。ジュースが出ないのは入れた十円を自動販売機がうけつけなかった。金額が十円ふそくしたから出なかったのだ。

「武美さん笑いすぎですよ、まったく」

ハンカチで汗をぬぐう恵一。恵一は成り行きじょう仕方が無いというふうに財布から十円玉を出し、

「理恵ちゃん、これをいれてごらん」

と理恵に渡した。

「うん」

十円玉をうけとった理恵は使えない十円を恵一に渡すと自動販売機へ走っていった。

 

*****

 

理恵が買ったのはドクターペッパーという炭酸だった。

「たいしたことないなあ、普通じゃん」

何だか不機嫌なかんじで飲んでいたが、飲みきれなかったようだ。

「やる」

と恵一に押しやる。

「いらないよ、もってかえれよ」

缶を押し返す恵一。

「あっ」

押し合っているうちに缶が落ちた。くるりと半回転して、飲み口を下にして雑草のなかに落ちた。

「なんで、なんでそうなの」

理恵はまた泣きだした。押しころした「うっ」といった声が痛々しい。恵一はただ見ていた。

「なくなよ、仕方がないよ」

つぶやく以外なにもできず立ちつくしていた。

 

武美に理恵をなだめてもらう。理恵は気が済んだらしい。

「お母さんが心配するから」

と、さっさといってしまった。恵一は武美ともわかれ、ひとり歩きながら考えていた。武美がいなかったら、飲みかけのドクターペッパーを素直に受け取っていたらなどと後悔した。たとえ自分に対する言い訳でしかないとしても、反省せずにはいられなかった。

 

西日が厳しいなか恵一は、日陰を求めてぶらぶら歩いていた。いま実家にかえって片づけでまた疲れるだと考えたからだった。何時だろう。帰りのバスは6時45分だったはずだ。恵一は時計代わりにしている携帯を取り出した。見ると留守録が入っている。

「まっずーい」

青汁を飲み干したかのような声を上げた。そうだった。良く考えてみればそうなのだ。理恵は静江のところから逃げてきてたのだ。恵一はすっかり忘れていた。しまった、捕まえておけば良かった。とくやしそうにつぶやいた。

 

*****

 

ギーン、ギーン携帯が震えだした。静恵からの電話だった。知らないふりをしないと。でも、どうやって、理恵無しでどう収める?けど、こっちに来られたらさらにややっこしいことになる。くまのようにぐずぐずしているうちに着信音の「永遠の詩」(Do As Infinity)が一回りしてしまった。

「でたとこ勝負だ」

と、あきらめて恵一は電話にでた。

 

静江からの電話は慌てたようすはなかった。

「理恵ちゃんね、いなくなっちゃった」

「えっ」

「南国のサニーマートでトイレにいってそれっきり。恵一君おおごとにしたくないっていってたし、だれにもいうてないよ。これでもけっこうさがしたよ」

「そう。わかったよ。後はいいよ。ぼくの責任で探すからもういいよ」

「えっ、いいの」

「いいよ。もう」

「ありがとう。そろそろ幼稚園に迎えにいくじかんなのよ。ね。」

あっさりと話しがついてしまった。つまり、関わりたくないということか。恵一はあっさり切れたケイタイを胸ポケットにしまった。拍子ぬけしつつも、ほっとした。

「さて、東京へ帰ろうか」

恵一は山の緑をしばらく眺めて、そしてゆっくりと歩きだした。

 

理恵は過去への旅行後の健康診断、影響判定を済ませるとまっすぐに、先生の家に来ていた。りえは、行く前に帰ってきたら先生にはまっさきに報告する約束をしていた。でも急いで来たのは、とにかく話したかったからだった。

「せんせい、ただいま」

理恵は玄関を元気よくあけた。ピアノがきこえる。お気に入りのベートーベンでもあかるい曲だ。先生の選曲は気分そのままで疲れるとピアノソナタ「悲愴」を弾く。理恵は嫌いだった。理恵には逃げ出したいような気分なる。決まって、最後まで聞いていられなくて逃げている。この曲調なら機嫌はいいはずだ。先生の気分がいいと理恵も話しがしやすい。理恵はリビングの戸のまえで深呼吸をした。そして、ドアをあけた。

 

理恵の第一声は、

「ただいま、せんせい」

だった。京野 晴子(きょうの はるこ)はピアノから立って理恵を迎えた。

「どうだった、余計なことしなかった?…大丈夫そうね。おかえりなさい」

晴子は、理恵を抱きしめた。晴子は不意に涙が込み上げてきた。母となる人に会えたことは、すばらしいが、今はいないそして何もしらない過去の母にあわせてよかったのだろうか。現実にもどってふと振り返った時に、理恵は後悔しないだろうか。行かすまえによく考えたはずなのにまたと晴子は思った。

「うん、大丈夫。ちゃんとできたよ」

理恵はお構いなしで、話つづける。

「お母さんに、ジュースかってもらったよ」

「そう」

「恵一はねえ、いつものまんまだった。そのままだったよ」

「ふーん」

「あとねえ」

いまの理恵にとっては会ったことの意味より、会うことができたことが全てのようだ。きっと緊張しどうしだったのだろう。妙に興奮している。薬でしゃべれなかったせいかもしれない。

「ねえ、恵一じゃなかった、お父さんに話してあげたらいいんじゃないかしら。」

理恵が、静かになった。

「えっ、今日もかえらないっていってたからいいの」

晴子はほほえみながら言った

「今日は一緒に夕飯を食べましょうって。三人で」

 

恵一を乗せた東京行き夜行バスは出発した。背もたれの違和感に恵一は後ろの座席に振り向いた。後ろにすわっていたのは女性だった。marie crere(マリ クレール)をひろげている。どうも、座席を蹴っていたようだ。シートに白っぽい土ぼこりがついている。勇気をだして恵一は言った。

「東京まで車中ご一緒します中井と申します。消灯後座席を倒しますのでよろしくお願いします。」