既刊再掲「すこし FUSHIGI」【3回目】
「すこし FUSHIGI」【3回目】
恵一の母は、自宅でまだ料理をしていた。祖母の「じいさんが好きだった鯛の蒸し物」のリクエストに応えるべく、近くの料理上手に料理をおそわっていた。昼に合わせて作っていたのでさすがに調理はほぼおわっていた。
「後は蒸しあがりを待つだけですね」
後片付けもそこそこに鏡台へむかう中井貴子。そろそろ化粧をしないと昼にだす顔がない。
「だけど、こんなに暑いのに、さまさんと出すんは、気がすすまんねえ」
名人こと木須(きす)夫人は額をぬぐった。
「まだいっちゃだめ?」
手があいたとみるや子供達が木須さんにかけよってきた。昼の宴の手前、十時のおやつ抜きで、食い物にうえているようだ。とにかくうるさい。子供が三人そろえば文珠ならぬギャングといったところだろう。
「もういくよほら、玄関に行った行った。貴子さん。この子たちと先に行っててくれません? 私はこの魚ちゃんとさましてからもっていきますから」
貴子は、料理より法事に来てもらわなくてはと思い、
「けど、もうじかんが、読経が始まりますからいいですよ。後で取りにきてもいいでしょが」
「まあ、そうやね」
そそくさと火を落とし、全員で法要のある中井家をめざして出発した。
宴会のまえに、十周忌の法要があるのに、宴会用にテーブルをならべていることにいっと(=一番)先に気付いたのは、じっとすわっていた岡田のばあさまだった。恵一が早とちりしてならべた、祭壇のまえのテーブルをどけて、座布団を敷きなおす。そうこうするうちに、お客がどっとやってきた。
親戚、じいさんの知り合い、ばあさんの知り合いで、祭壇をしつらえた十畳ほどの床の間兼仏間はいっぱいとなった。昼が目当てのがきもとりあえず後ろのほうに陣取り、経読みがはじまるのをまった。今回はちゃんと坊さんが来てくれたようだ。前回の五周忌のときは忙しいと逃げられ、仕方無くちゃんとした仏徒になっている近所のひとに代理をたのんでいた。さてこれからとはりせんみたいに畳まれた経文を開いたところでおもてから声がする。おもてに人がきたらしい。
*****
仕出し屋の男は、さっきまで一緒だった女の子のことをかんがえていた。南国バイパスに現れたとき、大日寺前で別れた時には何も感じなかった。けど、今はそのこと自体が気になっていた。魚の仕入れが遅れ、まわりまわって料理も遅れ、急いでいたのに、どうして乗せたのかなと。
しばらくすると、母屋から人がでてきた。男は気をとりなおして
「仕出し屋です、追加の皿もってきましたあ」
と言った。仕入れが遅れて、遅れた刺身の皿を持ってきたのだ。取りにでたのは、恵一だ。
「じゃ、運びましょう」
恵一とワゴンに向かう仕出し屋の男。恵一が気になったのか、話しかける。
「東京からですか」
「ええ、祖父のお祭りなので帰ってきました。久しぶりとはいえよく集まりましたね、びっくりですよ。
でも、どうしてわかりました、東京って」
「それは、東京帰りと言われて、嫌がるひとはないし、東京行くとよそよそしくなってしまう人多いですから。結構あたるでしょ。あっ、どうでもいいことですね、気にしないでください」
気にしないでといわれてもと、言われて恵一はちょっとびっくりしたが、次のことばには一瞬意識が飛ぶほどの衝撃をうけた。
「間に合ったようなんで言いますけど、さっき小さなおへんろさんを乗せたんですよ、あの子も東京からじゃないかなあ」
「小っちゃい子がひとりでおへんろですか、それも東京からきて?」
「聞いたわけじゃないですけど、大日寺で下ろしましたからね」
「ふうん、じゃあおへんろかもしれないね」
受け取りのサインをもらうと仕出し屋は帰っていった。恵一には、おへんろの女の子は理恵ではと
直感した。どうやってかはわからないが、理恵が恵一を追ってきたのだと思ったからびっくりしたのだ。
恵一には、理恵が優紀の子守から逃げてきたと思えてならなかった。けど、大日寺で降りたというのは
納得いかなかった。
*****
さて、恵一が料理を受け取って戻ると祭典は、参列者が祭壇に一人ずつ進みでて、祈りをささげ始めるところまで進行していた。なんとか祈りをささげるのは間に合ったと思って座布団に戻ると、もうまわりはそわそわしはじめている。恵一は、自分が空腹なことに気付いた。理恵が来るかもしれないのに、空腹を感じる。食い意地がはってるなと恵一は一人笑った。
式がおわり、祭壇まえにテーブルとござ座布団をしき、皿鉢を並べるのはわいのわいのいいながらも出席者全員参加であっと言う間に終わった。栓抜きがないと慌てる場面もあったが、ほどなく見つかり、すぐに乾杯となった。
「勇のためにまた集まれたことに、かんぱーい」
最年長になる叔父が音頭を取った。恵一はとりあえず注いだビールに口をつけると、手近な皿鉢に目を向けた。周りでは帰省組が郷土料理をねたにした話を始めていた。
「このようかん、東京にはないもんね、ニッケいりなんて」
「そう、けどあずきのようかんほど甘くなくていいよね」
恵一にとってはゆで卵いりかまぼこと並ぶよくわからない料理で、いつも食べてはみるが、なんにも感想がでない料理で、きょうも、何となく小皿にとっていたりする。
「うなぎですか。むかしはまいごが入っていたのにね。今とれんのかねえ」
「確かに、あの巻き貝みませんね。取れても高いんでしょうね」
皿鉢から巻き貝の酒むしが消えたのが環境のせいかどうかは分からないが、恵一にとっては鰻の蒲焼きや鳥の空揚げが皿鉢にはいるようになったことのほうが気になっていた。
*****
子供のころの皿鉢はもっと取っつきにくい料理だった。いかにも宴会専用ですよというかおをしていた。たとえばこの仙人峡の山のごとく盛られたピンクのいもきんとん。
「このいもきんとんなんでピンクなんやろなあ、はははっ」
なぜか笑っている市街の叔母はさておき、にっきのようかんといい、色からして普通の料理とは別物で、特別な印象があったけれど、いまの皿鉢は、東京に媚びているようにしか見えなかった。
「鯖の鮨もしっかと食うていきよ」
恵一の母が小皿にとった刺身をもってきた。ちょっと高知の鮨はうまいなんて言ってしまうとなかなかしつこい。
「ありがとう。何かとろうか」
持ってきてもらったのだから、お返しをと考えるのが皿鉢を囲む時の礼儀である。
「じゃあ、そこのようかんとって」
甘党の母のこと、やっぱりようかんかと思いながらも、ようかんを三きれほど小皿に盛り、母に突きかえした。
「酒につきあわんか、なあもうええ年としなんじゃきに」
叔父がビールを勧めに隣にきた。お酒好きはむかしから相変わらずで、ビールばかり飲んでいる。足下がもうおぼついていない。もう酒が回っているようだ。
「いやあ、寝ちゃうとみっともないし、遠慮しておきます」
はなしだすと、携帯電波圏外のアナウンスのごとく同じはなしを繰り返すので、席をはなれて台所へ向かった。台所へいってみると、子供が椅子の上にのっている。冷蔵庫の最上段の冷凍室を開けようとしていた。
「氷かい?」
子供は答えず、テーブルを指差した。飲みかけのオレンジジュースがある。
「氷だね」
冷凍室をあけ貯氷ケースをのぞく。空になっているので、製氷皿を取り出し、貯氷ケースに移した。
「ジュースに氷かね。はいはい」
子供に連れられて祖母がきたので、恵一は貯氷ケースを祖母に渡し、再び広間にもどった。広間ではめぼしい料理はあらかたなくなり、挨拶もすんで一息ついている大人と違い、まだまだ子供はさわがしい。
「さかなくずれてきたよ、スプーンとってえ」
恵一の母が子供面倒をみている。恵一ただはたで見ているだけだった。
*****
大日寺前で車をおりた理恵は、県道からすこし上がったところにある大日寺の境内をぶらぶらしていた。詣でるでもなく、座るでもなく、暑いさなか日陰から日陰へ歩いていた。ときおり空を仰ぎ見ている。
「せみ、うるさい」
もちろんせみはおかまいなしだ。うるさいのをまぎらわすように空をみつめる理恵。雲がながれた。それはもやのような、たばこのたなびくけむりのようなうすい雲だった。理恵はじっとその雲が消えるのを見とどけると、境内をでた。大日寺そばの県道を来た方向に少し戻り、三叉路を右に曲がった。
昼の宴はあまり盛り上がらない。暑さまっさかりの盆ならなおさらのことだ。お墓参りまで何人来るかはわからないが、しびれをきらして帰り仕度している人が何人か見受けられる。恵一は母をせっついた。
「そろそろしめてあげないと、叔父さん、寝ちゃうよ」
「そうねえ、あんたしめといて」
「えーっ、めんどいなあ」
「あいすくりんこうてあげるきに。さ、いった、いった」
恵一は、気は乗らなかったし、アイスで人を釣ろうとする母にかちんと来たが、えいやと祭壇のまえに立った。
「えー、そろそろ、とりあえず、お墓参りに行きたいとおもいます。いかれるかたは、そろそろ準備してください」
と、ここでヤジがはいった。
「じいさまに尻向けすんなあ」
祭壇を背にしていたことに気付いて、恵一は慌てて、部屋の角へずれ、さらに続ける。
「行かれないかたは、そのままでけっこうです。帰られるかた、墓参りしてそのまま帰るかたにはお返しを渡しますので、よろしく」
いってるそばで恵一はよく言うなおれと思った。で、結局のところ、ほとんどのお客が、墓参りしてそのまま帰ることがわかった。墓まいりのまえにお返しを渡すと荷物になるが、戻ってくるのはさらにつらいのは皆わかっていたのでとにかく渡し、支度できたひとから送り出していく。最後まで残って母は、ハイヤーの手配をしていた。墓のすぐそばにバス停に、墓参りが済んだころを見計らって迎えにくるてはずである。ハイヤー代は安くはないが、こう暑くては、どうにもしようがない。とみんなおもったにちがいない。
*****
中井家の墓所は、うら山へ続く道すがらの果樹園のなかにある。昔はもっと山奥に家があったのだそうだが、不便なので引っ越したときに、見晴らしのいいところへと墓も移したのだそうだ。なにがし霊園といった墓地の団地とはちがって、生活につながっている雰囲気がある。見晴らしはいいが、すぐ裏が雑木林で冬でもやぶ蚊が出るのはいつもまいる。結果、墓参りとなると蚊取り線香を腰にさげ、水やらお供え物やらをめいめい分担してもっていくことになる。
「日差しが痛いなあ、わたしも麦わら帽借りれば良かったかなあ」
姪のおんなのこは日差しから逃げまわっている。
「なんか、逃げ水がみえるよ。あじいー」
恵一は汗でべたつく肌にいらつきながら、どうでもいい話で気をまぎらわそうとする。たいていは、わめいているだけに終わるようなことだ。けど、たまに話に乗ってくるやつもいる。
「ええ、みえますね。」
いつのまにか武美と恵一は並んで歩いていた。
「こっちの日差しは痛いですね。空気が澄んでるからかね。東京とは違う」
恵一は続けた。
「暑いのに、理由なんて要らないんじゃない」
恵一はちょっとどきっとした。彼女が抵抗なく話せる人だということに気付いたからだ。恵一は話しの主導権を取ることはほとんどない。主導権のない会話は頭をおさえつけられるかんじがしたが、相手を押さえつけるよりはましと思っている。だから、彼にとって話しやすい人は貴重な存在だ。女性となるとなおさらだ。
「そうかもね」
でも、恵一はそっけなかった。
理恵は自動販売機の前にたっていた。県道ぞいにぽつんとたっている。たまに当たりでもう一本出るタイプの自販機だ。一番高いボタンに手をのばす。爪先立ちでは届かない。ジャンプしてみる。簡単に手がとどいた。自販機の周りぐるっとを一回りした理恵は恵一達のいる山道にむかって歩いていった。
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恵一ははいていたズボンに泥がついてがっくりきていた。狭い一軒家の階段のような墓場への登り口でぬかるみに足をとられてこけたからだ。来るたびに気を付けているのだが、またやってしまった。夏とはいえ、いまさら洗濯なんかしていたら今日中に立つことができないと思う恵一。帰りのバス代を無駄にするしかないのか。恵一は無性にいらだった。どろ汚れを気にしない子供たちが歓声をあげた。墓所まで登ってみると見晴らしがよく、室戸の海まで見える。振り返ってみると、墓石には苔がはえている。見晴らしがいいといっても石垣を背にしており、かつ、ならが繁る雑木林のなかにあるのだ。当然だろう。はしゃいだ子供のひとりが、こけですべって、べそをかいている。わんわん泣く子にばあさんが、
「こたあえたのがいかん」
とびしゃり。意味としては「ふざけたほうがわるい」というところだろうか。墓石の苔をたわしで落とし、先祖の皆様を詣でる。祖父母、曾祖父母5、6人の個人墓とそれ以前の合祀墓を一基ずつぐるぐるとめぐる。恵一は先祖といわれても知らない人に何を思えばいいのだろうかといつも思う。(明日のこどもたちにならあるの)後頭部でトライアングルが響くようににうかんできたメッセージに思わずふりむいた。誰もみあたらない。空耳のようだが何かがちがう。思い付きとはちがう感触があるメッセージ。だれかからのメッセージだろうか。だれか。理恵かもしれない。恵一は辺りをみまわした。