”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

尊敬さもなくば軽蔑の不毛

さっき気づいたのだが、
どうも、私は他人に対しては
「尊敬さもなくば軽蔑」
としか言いようの無い価値観があり、
かつ、
「上司は尊敬すべき」
という価値観を持っている様なのだ。

「尊敬さもなくば軽蔑」といっても、
自分より優れた存在かどうかを
値踏みしてからでないと人間関係を築けないということで、
いいかえると
「相手の度量に期待できないなら、
 こちらから無理を言わないようにする」ということだ。

また、
「上司は尊敬すべき」は、文字通りの意味だが、
一方で、この価値観は上司に対して
「上司には度量がある」
という期待も持っていることを意味する。

このことを考えるきっかけとなった、
上司とのコミュニケーションが上手くいかないに適用すると、

「頼りにしたくない上司」という本心と
「上司に動いてもらわなくてはいけない」
という現実が心で矛盾し、葛藤する結果、

「自分をだましだまし説明しているので要領を得なくなる」
「どうせ説明してもわからないだろうと思う一方で、
 上司に理解させるのが自分の責任と考えるので、
 理解したかどうかを過剰に気にして、
 説明が過剰になり論点がぼやける」
「自分が対処している問題に他人の問題を持ち出すと、
 問答無用で自己弁護しているとみなされると考えて、
 誰にしろ責任が問われそうなところは避けて話さないので、
訳がさらにわからなくなる」
ということになっているようだ。

この仮説の検証は追々するとして、
さて、これからどうしたものか。
全く度し難い俺だな。

こんなことを思ったのは先週職場の上役に、
「何を言っているかわからないやつ」
と言われたからだ。
あくまでもぽろっと出た一言で、些細なこととではある。
だが、間違いなく契約を切られる兆候の一つと思われた。

というのも、以前にも顧客のオフィスに常駐する仕事の契約を
私だけ切られたことがあり社長に
「何を言っているかわからないやつ」
という評判が立っていると言われたことがあったからである。

職場が変わってからは言われることが無かったが、
この職場もそろそろ二年になる。
いよいよこの問題は
「人生の超えるべき壁」としてとらえ、
真剣に考える時期が来たようだ。

改めて整理すると、直接問題にされているのは、
「話題が飛躍する」
「おどおどしている」
という評価が定着しつつあろう状況である。

私の現状認識として上の発言は
「上司に報告する際の説明が、あちこちに飛躍するので、
上司が対応すべき肝心な点が把握しづらい」
「上司に説明の際に、曖昧なまま話題を進めることが多く、
相手に同意を求めすぎる。おどおどして自信がないように見える」
ということだと解釈した上での考えである。