”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

私にバイク仲間はいらない。

卒業検定の再試験に落ちた。
開始早々の左折時に内回りに曲がれずに、
右側通行したためで、
試験場でなら即試験中止で停められるらしいが、
教習所の温情?で試験結果発表で知らされた。

(すぐ停められる試験場受験組から見れば、
コースを覚えられるので温情ということらしい)

その他は許容範囲だったということだったが、
来週末は、旅行で試験が受けられないため、
再々試験まで二週間空くのは、嫌な感じだし、
補習と合わせて追加の一万はとっても痛い。
ああっ。バイク購入がさらに遠のく…。

不合格そのものは、原因がはっきりしているので、割り切るつもりだ。
俺は原付に乗ったことがなく、
バイク乗車時間=教習時間なので、
あまり真剣に他の人と比べるのは無理があることにして、
モチベーションをつないで次に懸けていきます。

それより今日の試験できつかったのは、合否発表が終わって、
「(この教室出て行って)練習してください」
と言われた後不合格者に向けられるの合格者の視線だ。
まるで見えていないといわんばかりの視線は、ひどく劣等感を刺激した。

前回も感じたが、
実際今日は不合格が一人だけ=俺、
だったせいもあるだろうが、
この視線には浴び覚えがある。
大学で音楽サークルから抜けるとき浴びた視線だ。
そのときは、
「そんなもんだろう。普通感じるよな」
と思っていたが、
そうではないのかもと今日思い当たる。
サークルと合格者、
特に共通点はないが、
「成功した、達成した」
と言う価値観が支配していると感じる。

自身への矜持、プライドと言えば格好はいいが、

自分よりも力が無い物は存在を認めない、
側面がある。到達点が高ければそれほど、
その思いは強くなる。

プライドの厄介なところは
「なかなか達成できないだろうという自信」
「未熟な物に対して導く師の様に寛大でありたいという願望」
が入り乱れて、
ある種の居心地の悪さを生み出すことがある。

卑近な例では自己啓発系サイトの主催者がよく出しているオーラのような物で、
「できない、しないやつは人ではない」
という感じだろうか。

こういうことを言うと、考え過ぎと言われるし、
失敗からくる劣等感が見せる感覚なので、
感じなくなるときはいつか来ると思う。
でも、感じた事実を否定するかのように
わかりきったことを言うのは
それはそれで問題だと言いたい。

はっきりと言おう、このてのオーラは
「嫌い、ダメと言われようと絶対拒否」
だ。

もし、ライダーのコミュニティに
このてのオーラが、充満しているなら、

「私にバイク仲間はいらない」

勝手にやらせていただきます。

追伸

ちなみに理想の指導者の条件は

・(自分より)より多くの物が見えている。(視力じゃないよ)
・課題を明示することが出来る。
・未熟であることを否定しない。(無為を肯定するのではない)
・行き詰まった時に、具体的打開策を考えてくれる。(とりあえずやってみろとか)

以上