”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

善意を殺すこと

私は金の貸し借りにはうるさい。
サラリーマンとして十分食って行ける程度の収入はあるが、
実家へのお使い、牛乳とかお菓子とかの代金はしっかりといただく。
自分名義で契約している実家の電話代も。
高々2,3百円程度でしかない。
それくらい、まけておけよとか、いやらしいと思うのが世間相場らしいが、
私の相場は世間相場より厳しい。

無論性分がそうさせるのが99%なのだけど、
1%くらいは、
「自らの善意を穢したくない」
と思いがそうさせている。

善意を殺すことは、過剰であること、これだけだ。
その基準はやり取りするいずれかに、
無視できない損得感情が、
芽生えるというところだろう。

今は店を畳んでしまったが、
小学2年生くらいの時分、親戚に駄菓子屋をやっている人がいて、
無邪気にお菓子を貰いに行っていた。
しかし、あまりにすすめられるままに貰おうとするのを見た母が、
「すこしは、遠慮しなさい」
ということを言ったのだろう。
数年の間、人から物を奨められても、
ただ、
「いいです、いいです」
といっていたことをぼんやりと記憶している。

善意というには、
あからさまに期待が見え隠れする状況とはいえ、

善意を殺してしまった。のだ。

今にして思えば、向こうは
「喜ばしたい」
から、お菓子をすすめただけで、相手方に
いかにも無理をしてといった風もなかったし、
恐れを知らぬと入ってもたかが
小学校低学年、多少食べ過ぎても、
さしたる問題は無かったのだから、
とりあえず自由にさせて、
問題になってから、
説教すべきだったのだろう。
親子そろって、気を回しすぎたのである。

とはいえ、その頃から、
損することは嫌いな性格全開で、
拾った金は絶対手放さない子だったので、
そちらを心配されていたのかもしれないけど。

何かしてあげたいのだけどお金が絡むと、
とたんに損した気分になりやる気がなくなる
性分との折り合いをなんとかつけ、
日々自らの善意を育てようと奮闘しています。

自分が強欲であることは知っているが、
善意も持っていることも知っている。
善意と受けとられることは、
永遠に無いだろうけど、

なにも出来ないなんて絶対いわない。

そう信じています。