”A Normal Life , Just Like Walking”

小説書いて、メルマガ出して、文学フリマで売る。そんな同人作家皆原旬のブログ

既刊再掲「すこし FUSHIGI」【4回目】(終)

「すこし FUSHIGI」【4回目】(終)

 

理恵には簡単なことだった。薬を切らすのは規定違反だが、20世紀末の日本で、それも過疎がきびしい片田舎で見舞われる危険なんてない。先生はそういって笑っていたっけ。でも、ルールはルールだから、用が済んだら飲んでおかなくてはいけない。理恵はまたポケットの上から最後のタブレットがあることを確かめた。このくすりは感覚を研ぎすまし、予知にちかい感覚を得ることができる。

一方で、表情から、身振りから、テレパシー能力まであらゆる非言語コミュニケーションを押え込んでしまう。自閉症的状態を起こさせる薬なので、飲みたがる人なんてまずいないが、危険なことに関わることを避けるために旅行中の服用が強制されている。

理恵にはどうしても、恵一の助けが必要だったのだ。(私はここよ)おでこが下にひっぱられる感じがして、下の道を見てみると、理恵が背中をむけて立っていた。

「ああ、なんかいるよ」

恵一はためいきをついた。(元気ないわね。いいことを教えてあげる)

「どうかなさいましたか?」

武美が、おそなえの米を差し出した。いつのまにか墓石の苔は落とされ、花さしには榊(さかき)の葉がさされている。(時間ないんだから、ちゃんときいてよ)理恵のけはいが迫ってくる。(要点だけはなすわ。この先の自販機の前でうずくまっているから武美と一緒に来て。あとは適当にあわせてくれればいいから。うまくふたりきりになってね。よろしくね)

 

「なんなんだよ」

恵一はまたためいきをついた。まったく、昨日からあの子に振り回されること、振り回されること。正直、さっきの理恵は見なかったことにしてしまいたい。とはいえ、ほっておくとかなり危ない。返す足で実家に行って

「パパはどこ」

なんて騒がれたらそれこそ東京駅の二の舞だ。

「頼みごとしちゃいけないらしいけど、

今日いちにち平穏に過ぎますように」神頼みならぬ先祖頼み。不可解な現実に、いらだちつつもなにかにすがらずにいれない恵一であった。一通り済んで、おそなえを下げて(片づけて)皆が帰る時間になった。下をハイヤーも来ているようだ。

 

恵一はすこし思い切ることにした。

「岡田さん荷物をお持ちましょう」

めいばあさんの荷物をすべて引き受けることにした。めいばあさんはちらと恵一の顔を窺うと、さきにいってしまった。そして、武美が近づいてきた。

「すみません。こんなにもってもらって」

「いえ、べつに。あっ」

恵一はまたこけた。行きにこけたあの登りくちで。

 

*****

 

恵一は手をつけずに強くうった腰が痛かったが、せいいっぱい強がって見せた。

「大したことありません。急ぎましょう」

武美は

「そう、じゃあ急ぎましょうか」

とつれない。ちょっとがっかりした恵一だったが、「ちょっと、まってまって、まってください」なんとか二人で自販機に向かうことになった。

 

武美と恵一、二人きりになったせいか、話題は東京での生活の話になった。

「東京はどの辺りにお住まいですか」

「川崎です」

「大きな映画館ありましたよね。行ったことがあります」

「へえ、そうですか」

「恵一さんは、一人暮らしなんですってね。大変でしょう。私は、いまだに親にべったりで」

「いろいろ便利なものがありますからそうでもないです」

「たとえば?」

「桶は便利ですよ」

「へ?」

「オールおっけい、なんてね」

戸惑いの沈黙が流れた。沈黙にたえかねたのは恵一のほうだった。

「あの子一人でどうしたんだろう」

指差す先には理恵が立っていた。

 

武美が叫んだ

「あっ、あの子泣いてる」

武美の心配そうな顔に溜息をそっとついた。理恵は自動販売機前の道路で恵一たちから見て正面に立って泣いている。あからさまに助けを求めているのは明らかだ。しかも何回も大きくしゃくりあげている。恵一は

「何でだろう、行きましょう」

と武美を促した。理恵のそばに行くと、しゃがんで正面からじっと理恵の眼をみつめた。理恵の泣き顔には嘘はないと恵一は感じた。武美が側にきて理恵はさらに激しく泣いている。この子に関しては何もしらないが、武美との組み合わせは自然だった。恵一は絵になってるなあと見とれた。

 

なんとかしろ

 

恵一の沈黙に理恵が喝をいれた。理恵を武美がつかんで放しそうにない。武美は何か感じているのだろうか。とりあえず、恵一は武美から理恵を引き放すことにした。

「どうしたのかな、ジュースがほしいのかな」

引き放された理恵は首をふって理恵はすぐに武美のほうに戻っていった。恵一はこの展開に無理があったかなと心配した。

「そう、お金いれたのに出てこなかったの。ふうん」

話しているようだ。なんとかなったようだ。武美と理恵の話は進んで、とどのつまり、理恵は、お金をいれたのに自販機からジュースが出てこなかったと訴えているようだ。

「ちょっと見てみるから、おとなしくまっててね」

武美は自販機に向かい、恵一が理恵のそばに立った。恵一は思った。

こんなことがしたかったのだろうか恵一は思った。ぼそりと理恵がかえす。

 

こんなにうれしいことをこんなことって言うなよな、ばか

 

理恵の顔が、また泣きそうになった。武美が可笑しそうにして戻ってきた。

「平成三十年だってこの十円。冗談にしてもひどいわ。それにしても、変だわ、はははは」

武美はしばらく笑っていた。笑いのつぼにはいってしまったようだ。ジュースが出ないのは入れた十円を自動販売機がうけつけなかった。金額が十円ふそくしたから出なかったのだ。

「武美さん笑いすぎですよ、まったく」

ハンカチで汗をぬぐう恵一。恵一は成り行きじょう仕方が無いというふうに財布から十円玉を出し、

「理恵ちゃん、これをいれてごらん」

と理恵に渡した。

「うん」

十円玉をうけとった理恵は使えない十円を恵一に渡すと自動販売機へ走っていった。

 

*****

 

理恵が買ったのはドクターペッパーという炭酸だった。

「たいしたことないなあ、普通じゃん」

何だか不機嫌なかんじで飲んでいたが、飲みきれなかったようだ。

「やる」

と恵一に押しやる。

「いらないよ、もってかえれよ」

缶を押し返す恵一。

「あっ」

押し合っているうちに缶が落ちた。くるりと半回転して、飲み口を下にして雑草のなかに落ちた。

「なんで、なんでそうなの」

理恵はまた泣きだした。押しころした「うっ」といった声が痛々しい。恵一はただ見ていた。

「なくなよ、仕方がないよ」

つぶやく以外なにもできず立ちつくしていた。

 

武美に理恵をなだめてもらう。理恵は気が済んだらしい。

「お母さんが心配するから」

と、さっさといってしまった。恵一は武美ともわかれ、ひとり歩きながら考えていた。武美がいなかったら、飲みかけのドクターペッパーを素直に受け取っていたらなどと後悔した。たとえ自分に対する言い訳でしかないとしても、反省せずにはいられなかった。

 

西日が厳しいなか恵一は、日陰を求めてぶらぶら歩いていた。いま実家にかえって片づけでまた疲れるだと考えたからだった。何時だろう。帰りのバスは6時45分だったはずだ。恵一は時計代わりにしている携帯を取り出した。見ると留守録が入っている。

「まっずーい」

青汁を飲み干したかのような声を上げた。そうだった。良く考えてみればそうなのだ。理恵は静江のところから逃げてきてたのだ。恵一はすっかり忘れていた。しまった、捕まえておけば良かった。とくやしそうにつぶやいた。

 

*****

 

ギーン、ギーン携帯が震えだした。静恵からの電話だった。知らないふりをしないと。でも、どうやって、理恵無しでどう収める?けど、こっちに来られたらさらにややっこしいことになる。くまのようにぐずぐずしているうちに着信音の「永遠の詩」(Do As Infinity)が一回りしてしまった。

「でたとこ勝負だ」

と、あきらめて恵一は電話にでた。

 

静江からの電話は慌てたようすはなかった。

「理恵ちゃんね、いなくなっちゃった」

「えっ」

「南国のサニーマートでトイレにいってそれっきり。恵一君おおごとにしたくないっていってたし、だれにもいうてないよ。これでもけっこうさがしたよ」

「そう。わかったよ。後はいいよ。ぼくの責任で探すからもういいよ」

「えっ、いいの」

「いいよ。もう」

「ありがとう。そろそろ幼稚園に迎えにいくじかんなのよ。ね。」

あっさりと話しがついてしまった。つまり、関わりたくないということか。恵一はあっさり切れたケイタイを胸ポケットにしまった。拍子ぬけしつつも、ほっとした。

「さて、東京へ帰ろうか」

恵一は山の緑をしばらく眺めて、そしてゆっくりと歩きだした。

 

理恵は過去への旅行後の健康診断、影響判定を済ませるとまっすぐに、先生の家に来ていた。りえは、行く前に帰ってきたら先生にはまっさきに報告する約束をしていた。でも急いで来たのは、とにかく話したかったからだった。

「せんせい、ただいま」

理恵は玄関を元気よくあけた。ピアノがきこえる。お気に入りのベートーベンでもあかるい曲だ。先生の選曲は気分そのままで疲れるとピアノソナタ「悲愴」を弾く。理恵は嫌いだった。理恵には逃げ出したいような気分なる。決まって、最後まで聞いていられなくて逃げている。この曲調なら機嫌はいいはずだ。先生の気分がいいと理恵も話しがしやすい。理恵はリビングの戸のまえで深呼吸をした。そして、ドアをあけた。

 

理恵の第一声は、

「ただいま、せんせい」

だった。京野 晴子(きょうの はるこ)はピアノから立って理恵を迎えた。

「どうだった、余計なことしなかった?…大丈夫そうね。おかえりなさい」

晴子は、理恵を抱きしめた。晴子は不意に涙が込み上げてきた。母となる人に会えたことは、すばらしいが、今はいないそして何もしらない過去の母にあわせてよかったのだろうか。現実にもどってふと振り返った時に、理恵は後悔しないだろうか。行かすまえによく考えたはずなのにまたと晴子は思った。

「うん、大丈夫。ちゃんとできたよ」

理恵はお構いなしで、話つづける。

「お母さんに、ジュースかってもらったよ」

「そう」

「恵一はねえ、いつものまんまだった。そのままだったよ」

「ふーん」

「あとねえ」

いまの理恵にとっては会ったことの意味より、会うことができたことが全てのようだ。きっと緊張しどうしだったのだろう。妙に興奮している。薬でしゃべれなかったせいかもしれない。

「ねえ、恵一じゃなかった、お父さんに話してあげたらいいんじゃないかしら。」

理恵が、静かになった。

「えっ、今日もかえらないっていってたからいいの」

晴子はほほえみながら言った

「今日は一緒に夕飯を食べましょうって。三人で」

 

恵一を乗せた東京行き夜行バスは出発した。背もたれの違和感に恵一は後ろの座席に振り向いた。後ろにすわっていたのは女性だった。marie crere(マリ クレール)をひろげている。どうも、座席を蹴っていたようだ。シートに白っぽい土ぼこりがついている。勇気をだして恵一は言った。

「東京まで車中ご一緒します中井と申します。消灯後座席を倒しますのでよろしくお願いします。」

 

既刊再掲「すこし FUSHIGI」【3回目】

「すこし FUSHIGI」【3回目】

 

恵一の母は、自宅でまだ料理をしていた。祖母の「じいさんが好きだった鯛の蒸し物」のリクエストに応えるべく、近くの料理上手に料理をおそわっていた。昼に合わせて作っていたのでさすがに調理はほぼおわっていた。

「後は蒸しあがりを待つだけですね」

後片付けもそこそこに鏡台へむかう中井貴子。そろそろ化粧をしないと昼にだす顔がない。

「だけど、こんなに暑いのに、さまさんと出すんは、気がすすまんねえ」

名人こと木須(きす)夫人は額をぬぐった。

「まだいっちゃだめ?」

手があいたとみるや子供達が木須さんにかけよってきた。昼の宴の手前、十時のおやつ抜きで、食い物にうえているようだ。とにかくうるさい。子供が三人そろえば文珠ならぬギャングといったところだろう。

「もういくよほら、玄関に行った行った。貴子さん。この子たちと先に行っててくれません? 私はこの魚ちゃんとさましてからもっていきますから」

貴子は、料理より法事に来てもらわなくてはと思い、

「けど、もうじかんが、読経が始まりますからいいですよ。後で取りにきてもいいでしょが」

「まあ、そうやね」

そそくさと火を落とし、全員で法要のある中井家をめざして出発した。

 

宴会のまえに、十周忌の法要があるのに、宴会用にテーブルをならべていることにいっと(=一番)先に気付いたのは、じっとすわっていた岡田のばあさまだった。恵一が早とちりしてならべた、祭壇のまえのテーブルをどけて、座布団を敷きなおす。そうこうするうちに、お客がどっとやってきた。

 

親戚、じいさんの知り合い、ばあさんの知り合いで、祭壇をしつらえた十畳ほどの床の間兼仏間はいっぱいとなった。昼が目当てのがきもとりあえず後ろのほうに陣取り、経読みがはじまるのをまった。今回はちゃんと坊さんが来てくれたようだ。前回の五周忌のときは忙しいと逃げられ、仕方無くちゃんとした仏徒になっている近所のひとに代理をたのんでいた。さてこれからとはりせんみたいに畳まれた経文を開いたところでおもてから声がする。おもてに人がきたらしい。

 

*****

 

仕出し屋の男は、さっきまで一緒だった女の子のことをかんがえていた。南国バイパスに現れたとき、大日寺前で別れた時には何も感じなかった。けど、今はそのこと自体が気になっていた。魚の仕入れが遅れ、まわりまわって料理も遅れ、急いでいたのに、どうして乗せたのかなと。

しばらくすると、母屋から人がでてきた。男は気をとりなおして

「仕出し屋です、追加の皿もってきましたあ」

と言った。仕入れが遅れて、遅れた刺身の皿を持ってきたのだ。取りにでたのは、恵一だ。

「じゃ、運びましょう」

恵一とワゴンに向かう仕出し屋の男。恵一が気になったのか、話しかける。

「東京からですか」

「ええ、祖父のお祭りなので帰ってきました。久しぶりとはいえよく集まりましたね、びっくりですよ。

でも、どうしてわかりました、東京って」

「それは、東京帰りと言われて、嫌がるひとはないし、東京行くとよそよそしくなってしまう人多いですから。結構あたるでしょ。あっ、どうでもいいことですね、気にしないでください」

気にしないでといわれてもと、言われて恵一はちょっとびっくりしたが、次のことばには一瞬意識が飛ぶほどの衝撃をうけた。

「間に合ったようなんで言いますけど、さっき小さなおへんろさんを乗せたんですよ、あの子も東京からじゃないかなあ」

「小っちゃい子がひとりでおへんろですか、それも東京からきて?」

「聞いたわけじゃないですけど、大日寺で下ろしましたからね」

「ふうん、じゃあおへんろかもしれないね」

 

受け取りのサインをもらうと仕出し屋は帰っていった。恵一には、おへんろの女の子は理恵ではと

直感した。どうやってかはわからないが、理恵が恵一を追ってきたのだと思ったからびっくりしたのだ。

恵一には、理恵が優紀の子守から逃げてきたと思えてならなかった。けど、大日寺で降りたというのは

納得いかなかった。

 

*****

 

さて、恵一が料理を受け取って戻ると祭典は、参列者が祭壇に一人ずつ進みでて、祈りをささげ始めるところまで進行していた。なんとか祈りをささげるのは間に合ったと思って座布団に戻ると、もうまわりはそわそわしはじめている。恵一は、自分が空腹なことに気付いた。理恵が来るかもしれないのに、空腹を感じる。食い意地がはってるなと恵一は一人笑った。

 

式がおわり、祭壇まえにテーブルとござ座布団をしき、皿鉢を並べるのはわいのわいのいいながらも出席者全員参加であっと言う間に終わった。栓抜きがないと慌てる場面もあったが、ほどなく見つかり、すぐに乾杯となった。

「勇のためにまた集まれたことに、かんぱーい」

最年長になる叔父が音頭を取った。恵一はとりあえず注いだビールに口をつけると、手近な皿鉢に目を向けた。周りでは帰省組が郷土料理をねたにした話を始めていた。

「このようかん、東京にはないもんね、ニッケいりなんて」

「そう、けどあずきのようかんほど甘くなくていいよね」

恵一にとってはゆで卵いりかまぼこと並ぶよくわからない料理で、いつも食べてはみるが、なんにも感想がでない料理で、きょうも、何となく小皿にとっていたりする。

「うなぎですか。むかしはまいごが入っていたのにね。今とれんのかねえ」

「確かに、あの巻き貝みませんね。取れても高いんでしょうね」

皿鉢から巻き貝の酒むしが消えたのが環境のせいかどうかは分からないが、恵一にとっては鰻の蒲焼きや鳥の空揚げが皿鉢にはいるようになったことのほうが気になっていた。

 

*****

 

子供のころの皿鉢はもっと取っつきにくい料理だった。いかにも宴会専用ですよというかおをしていた。たとえばこの仙人峡の山のごとく盛られたピンクのいもきんとん。

「このいもきんとんなんでピンクなんやろなあ、はははっ」

なぜか笑っている市街の叔母はさておき、にっきのようかんといい、色からして普通の料理とは別物で、特別な印象があったけれど、いまの皿鉢は、東京に媚びているようにしか見えなかった。

「鯖の鮨もしっかと食うていきよ」

恵一の母が小皿にとった刺身をもってきた。ちょっと高知の鮨はうまいなんて言ってしまうとなかなかしつこい。

「ありがとう。何かとろうか」

持ってきてもらったのだから、お返しをと考えるのが皿鉢を囲む時の礼儀である。

「じゃあ、そこのようかんとって」

甘党の母のこと、やっぱりようかんかと思いながらも、ようかんを三きれほど小皿に盛り、母に突きかえした。

「酒につきあわんか、なあもうええ年としなんじゃきに」

叔父がビールを勧めに隣にきた。お酒好きはむかしから相変わらずで、ビールばかり飲んでいる。足下がもうおぼついていない。もう酒が回っているようだ。

「いやあ、寝ちゃうとみっともないし、遠慮しておきます」

はなしだすと、携帯電波圏外のアナウンスのごとく同じはなしを繰り返すので、席をはなれて台所へ向かった。台所へいってみると、子供が椅子の上にのっている。冷蔵庫の最上段の冷凍室を開けようとしていた。

「氷かい?」

子供は答えず、テーブルを指差した。飲みかけのオレンジジュースがある。

「氷だね」

冷凍室をあけ貯氷ケースをのぞく。空になっているので、製氷皿を取り出し、貯氷ケースに移した。

「ジュースに氷かね。はいはい」

子供に連れられて祖母がきたので、恵一は貯氷ケースを祖母に渡し、再び広間にもどった。広間ではめぼしい料理はあらかたなくなり、挨拶もすんで一息ついている大人と違い、まだまだ子供はさわがしい。

「さかなくずれてきたよ、スプーンとってえ」

恵一の母が子供面倒をみている。恵一ただはたで見ているだけだった。

 

*****

 

大日寺前で車をおりた理恵は、県道からすこし上がったところにある大日寺の境内をぶらぶらしていた。詣でるでもなく、座るでもなく、暑いさなか日陰から日陰へ歩いていた。ときおり空を仰ぎ見ている。

「せみ、うるさい」

もちろんせみはおかまいなしだ。うるさいのをまぎらわすように空をみつめる理恵。雲がながれた。それはもやのような、たばこのたなびくけむりのようなうすい雲だった。理恵はじっとその雲が消えるのを見とどけると、境内をでた。大日寺そばの県道を来た方向に少し戻り、三叉路を右に曲がった。

 

昼の宴はあまり盛り上がらない。暑さまっさかりの盆ならなおさらのことだ。お墓参りまで何人来るかはわからないが、しびれをきらして帰り仕度している人が何人か見受けられる。恵一は母をせっついた。

「そろそろしめてあげないと、叔父さん、寝ちゃうよ」

「そうねえ、あんたしめといて」

「えーっ、めんどいなあ」

「あいすくりんこうてあげるきに。さ、いった、いった」

恵一は、気は乗らなかったし、アイスで人を釣ろうとする母にかちんと来たが、えいやと祭壇のまえに立った。

「えー、そろそろ、とりあえず、お墓参りに行きたいとおもいます。いかれるかたは、そろそろ準備してください」

と、ここでヤジがはいった。

「じいさまに尻向けすんなあ」

祭壇を背にしていたことに気付いて、恵一は慌てて、部屋の角へずれ、さらに続ける。

「行かれないかたは、そのままでけっこうです。帰られるかた、墓参りしてそのまま帰るかたにはお返しを渡しますので、よろしく」

いってるそばで恵一はよく言うなおれと思った。で、結局のところ、ほとんどのお客が、墓参りしてそのまま帰ることがわかった。墓まいりのまえにお返しを渡すと荷物になるが、戻ってくるのはさらにつらいのは皆わかっていたのでとにかく渡し、支度できたひとから送り出していく。最後まで残って母は、ハイヤーの手配をしていた。墓のすぐそばにバス停に、墓参りが済んだころを見計らって迎えにくるてはずである。ハイヤー代は安くはないが、こう暑くては、どうにもしようがない。とみんなおもったにちがいない。

 

*****

 

中井家の墓所は、うら山へ続く道すがらの果樹園のなかにある。昔はもっと山奥に家があったのだそうだが、不便なので引っ越したときに、見晴らしのいいところへと墓も移したのだそうだ。なにがし霊園といった墓地の団地とはちがって、生活につながっている雰囲気がある。見晴らしはいいが、すぐ裏が雑木林で冬でもやぶ蚊が出るのはいつもまいる。結果、墓参りとなると蚊取り線香を腰にさげ、水やらお供え物やらをめいめい分担してもっていくことになる。

「日差しが痛いなあ、わたしも麦わら帽借りれば良かったかなあ」

姪のおんなのこは日差しから逃げまわっている。

「なんか、逃げ水がみえるよ。あじいー」

恵一は汗でべたつく肌にいらつきながら、どうでもいい話で気をまぎらわそうとする。たいていは、わめいているだけに終わるようなことだ。けど、たまに話に乗ってくるやつもいる。

「ええ、みえますね。」

いつのまにか武美と恵一は並んで歩いていた。

「こっちの日差しは痛いですね。空気が澄んでるからかね。東京とは違う」

恵一は続けた。

「暑いのに、理由なんて要らないんじゃない」

恵一はちょっとどきっとした。彼女が抵抗なく話せる人だということに気付いたからだ。恵一は話しの主導権を取ることはほとんどない。主導権のない会話は頭をおさえつけられるかんじがしたが、相手を押さえつけるよりはましと思っている。だから、彼にとって話しやすい人は貴重な存在だ。女性となるとなおさらだ。

「そうかもね」

でも、恵一はそっけなかった。

 

理恵は自動販売機の前にたっていた。県道ぞいにぽつんとたっている。たまに当たりでもう一本出るタイプの自販機だ。一番高いボタンに手をのばす。爪先立ちでは届かない。ジャンプしてみる。簡単に手がとどいた。自販機の周りぐるっとを一回りした理恵は恵一達のいる山道にむかって歩いていった。

 

*****

 

恵一ははいていたズボンに泥がついてがっくりきていた。狭い一軒家の階段のような墓場への登り口でぬかるみに足をとられてこけたからだ。来るたびに気を付けているのだが、またやってしまった。夏とはいえ、いまさら洗濯なんかしていたら今日中に立つことができないと思う恵一。帰りのバス代を無駄にするしかないのか。恵一は無性にいらだった。どろ汚れを気にしない子供たちが歓声をあげた。墓所まで登ってみると見晴らしがよく、室戸の海まで見える。振り返ってみると、墓石には苔がはえている。見晴らしがいいといっても石垣を背にしており、かつ、ならが繁る雑木林のなかにあるのだ。当然だろう。はしゃいだ子供のひとりが、こけですべって、べそをかいている。わんわん泣く子にばあさんが、

「こたあえたのがいかん」

とびしゃり。意味としては「ふざけたほうがわるい」というところだろうか。墓石の苔をたわしで落とし、先祖の皆様を詣でる。祖父母、曾祖父母5、6人の個人墓とそれ以前の合祀墓を一基ずつぐるぐるとめぐる。恵一は先祖といわれても知らない人に何を思えばいいのだろうかといつも思う。(明日のこどもたちにならあるの)後頭部でトライアングルが響くようににうかんできたメッセージに思わずふりむいた。誰もみあたらない。空耳のようだが何かがちがう。思い付きとはちがう感触があるメッセージ。だれかからのメッセージだろうか。だれか。理恵かもしれない。恵一は辺りをみまわした。

既刊再掲「すこし FUSHIGI」【2回目】

「すこし FUSHIGI」【2回目】

 

高知駅に着いたのは、朝7時45分をまわった所だった。天気は快晴、すでに、日差しが手の甲を刺すように照りつけている。肌には厳しいが、暑いといっても東京とはすごしやすさが違う。東京は熱気が体にまとわりつく感じで、こっちでは熱気は襲ってくる感じだ。端的にあらわれるのが、汗のかきかたで、東京の汗は冷房なしに乾くことがないが、高知の汗は屋外でも風にふかれれば乾いていく。ほんのすこしの差だけど、体を冷房なしで休ませることができるのは、精神的にも健康増進になるなあと思いをめぐらす。が、根本的に暑いのはきらいな恵一は、涼める場所を求めて駅前をさまようことになった。というのも、田中優紀との待ち合わせが午前十時に、土電西武のはりまや橋交差点側の入口ということになったからだ。午前9時になろうかという時間では当然のように、ほとんどの店が閉まっている。無論、喫茶店は何軒か開いていたのだが、理恵の、

「理恵、タバコはだめ。」

と、この生存をおびやかすほどの暑さにも動じず入店拒否してしまい、

「理恵ちゃん、このままでは倒れてしまいそう」

といった説得を聞き入れてくれないまま、冷房はないが、屋根のある帯屋町通りに涼をもとめてすすんでいく。

「魚屋があいててもなあ。あれ」

砕いた氷のうえの魚と、手書きの値札がスーパーの魚屋「もどき」の鮮魚コーナーと違うようにみえるのは、さかなのにおいがするからにちがいない。理恵は大きく円を描くように避けようとする。対照的に恵一は魚屋にちかづいていき、理恵を呼び止めた。

「理恵ちゃん、朝飯にさあ、鯖のすしたべない、魚たべられるかなあ」

「え、ええ多分」

「あと、酸っぱいのはどう」

「どうっていっても。はやくいきましょう」

恵一は鯖のすしを買うと、理恵のあとを追った。

 

人間、帰巣本能というか、見慣れた、使い慣れた物にひきよせられるようで、恵一達は図書館に朝一番乗りをはたしていた。恵一は本の虫だったことがある。中学生の頃学校の図書室に通いつめ、図書委員長にまでなってしまった。休み時間に、昼休み、夏休み、冬休みと入り浸って、片っ端からページ

をめくっていた。動機は、司書の先生がすきといういたって不純なものだったけど、かえって、本が傷んでいるだの、新刊が読みたいだの本にさわるたびいちいち騒ぐ真性本の虫より、先生の覚えはよかったようだった。高知県の数少ない図書館である高知市立図書館の飲食可の休憩室と売店に来るのは中学時代以来になる。売店で瓶入り牛乳をふたつ買って、朝飯ににした。

 

土電西武へは、待ち合わせ二分前に着いた。図書館で本当は新聞でも読みもって(ながら)涼もうとしたのだが、理恵にはばまれたので、図書館を早めにでたのがぴったし当たり、待ち合わせに間に合った。と思ったが、彼女は先にきていた。

「やあ、ひさしぶりだね。またせたかな」

「そんなにまちやせんけど、あついなあここ」

「喫茶店でもさがそうか、ねえ、理恵ちゃん」

「それなら、いいのがあるのよ。ここに」

と、土電西武を指差した。ということで、開店した土電西武の喫茶店へ向かった。

 

*****

 

彼女って、なんかけばい。理恵は優紀の放つパウダーと香水の甘い香りが鼻について息苦しさを感じていた。理恵は、あまりはやらない化粧品の外交員をしている叔母を思い出した。叔母の格好についてママは、綺麗だといっていたが、うそっぽい。だって、ただでもらったサンプルを一つも開けずに捨ててたし。

とはいえ、人見知りをしているばあいでもないでしょ。うわっ、なれなれしいわね。おでこをなでるな。

「かわいいけど、元気ないわね。」

一言おおいかも。この女。

「さあね。でも、ここまでついてきた根性は見上げたもんだろう」

適当なこといってるし。

まあ、聞き流しておきましょう。

「で、本当に覚えはないの、この子に」

「うん。大体逆算すると、大学にいたころになるけど…ないない、ぜったいない」

そりゃそうよね、だって。

「じゃあ、いまは?今の彼女の子かもよ」

「いや、今はもう別れた」

「じゃあ、過去の彼女が、新しいパパ候補に探りをいれているのかも」

この女、こりゃ、二時間ミステリーの乗りね。全くひとごとだね。

「君には迷惑をかけるけど、さすがにこの子を法事につれていく訳にはいかないからさ、こうして君に会っているわけさ」

もう本題にはいっちゃうの?彼女話し足りなそうなのに。

「えっ」

「この子を預かってほしいんだ」

「隠し子をかくすわけ?」

ワイドショウ的な発想ね。面白いかも。

「まあ、そうなるのかな」

「いつもお世話になっているから、むげにしたくはないけれど、あんまりつきあってられないのよね。」

この女、その気のようね。交渉成立かな。

「今日の夕方まででいいんだ。この子を早いとこ東京に送らなきゃいけないし」

あっ、人をだしにつかってる。

「宴会とか苦手だったよね、そういえば」

「まあね」

で、あわれなわたしの運命は?

「納得はしないけど、とりあえず、この子は預かるわ。でも、一分たりとも延長はなしだからね」

「ありがとうな。で、何時まで預かってくれるん?」

 

*****

 

高知県東部、車で一時間ほどのところに中井恵一の実家はある。優紀に理恵を預けた恵一が実家についたのは午前十一時を回ったころだった。

「ただいまあ」

恵一にとって二年ぶりの帰宅である。出てきたのは母方の祖母。

「やっと戻ったかね。まあ、とりあえず座って。もうすぐ皿鉢(さわち)がとどくきね」

「そう。ばあちゃん、かあさんはどうした?離れにもいなかったようやけど」

「ええっと、そう、蝋燭がのうて仲吉さんのとこまでお使いにいてる」

「ところで、どれくらいでお客するの、すんぐにかえるきに、(料理が)どっさりのこってもしらないよ」

「でも、じいさまが好きやき、たんとたのんだで」

「まあかってにしいや。」

恵一は祖母とひとしきり再会の挨拶をし、居間でテレビ番組を一通り物色する。といっても、昼直前にこれといったものもなく、昼になるまえにまずはトイレにいくことにした。

「ところで、サンダルない?靴はあつくてかなわん」

「んえ、サンダルなら洗濯干し場にあるよ。」

ああ、と気のぬけた返事をして、脱ぎかけだった靴をはきなおし中庭にでた。洗洗濯場は、母屋勝手口からみて右ななめまえにある。屋根があるので、農作業用具のたぐいと一緒にしてあるのだろうなと恵一は探してみる。サンダルは泥の残っているゴム長靴と同じ下駄箱と一緒に入っていた。いくつかあったなかで選んだサンダルは、いぼのついた健康サンダルで、入れ違いに脱いだくつはサンダルのあった棚に置いた。靴下も脱げたらなあ、などとつぶやいていると、郵便うけのあたりから

「こんにちわ」

と女の声がする。とおもったら、また、

「こんにちわ」

と声はするが、入ってこない。母屋からだれもでてこないので、

「はい、どなたさまあ」

と恵一は答えた。

 

*****

 

郵便うけの方にいってみると、老婆と若い女性が立っている。

「どうかなさいましたか?」

と恵一が聞くと、

「まだ、準備があるだろうからと止めたのですが、手伝いがいるだろうと言ってきかなくて」

「どちら様でしょうか。(祖母に)とりつぎますので」

「岡田です。岡田とその孫が来たとつたえていただければ、分かるとおもいます」

ということで岡田家のひとを広間にとおすと恵一は祖母に岡田家が来たこと伝えたが、手伝いは特にいらないとのこと。といっても、大広間のテーブルは並べていない。仕方無いので、最初のおきゃくさん、岡田めい、岡田長美(たけみ)には、テーブルを並べるまで大広間のすみでしばらく待ってもらうことにした。

「すみません。料理がそろってからと思っていたもので」

恵一は広間にコの字を描くように折り畳みテーブルの足をひろげ、置いたテーブルの上を布巾でふいていく。

「いえ。手伝います。座布団しきますよ」

長美は、とりあえずてつだうことにした。

「そうですね。」

恵一には、座布団はどうでもよかった。

「暑いですね。」

トイレにたった時に少しは見栄えがするようにとシャツの襟をただしたのが、首の汗腺をいたく刺激したらく、テーブルを運ぶたびに汗がうなじを流れ、イライラさせた。

「東京よりはましだけどね」

「東京におつとめですか、どうりで言葉がきれいですね」

恵一はすこしかちんときた。

「高知のことば、もっとおぼえといたらとおもっているんですけどね」

「そうですか、わたしも東京ですけど、そんなには思いませんけど」

「そうです。こっちへくるたんびに、なんか仲間はずれだなって思っているんですから」

「うげるこちゃあない、くそいちがいにおもうからあかん」

めいばあさんは、こともなげにつぶやくと、

「自分がいたいなら、なんとおもわれようとも来てちゃんとしてればよかよ」

法事に戻ってきたことをほめているらしい。

「はあ」

「わたしのまわりと逆ね。訛りがぬけないっていってるコっておおいんだから」

「いや、べつに困っているわけじゃないから」

恵一は、気をとりなおして、

「テーブルはこれでいい、取り皿とかならべるかい」

祖母は、いそいそと

「はい、まっててよ」

皿のはいったかごをもってきた。

 

*****

 

理恵は気分がわるかった。バスで寝付けずに寝不足なうえに、恵一に夏の高知市街をつれまわされ、またこうして冷房のきいた車に乗ったからだ。冷房病にでもかかったのだろううか。理恵はしきりにうでをさすっていた。運転にかまけて優紀は理恵寒がるのに気付くことなく、南国バイパスをHONDAのCityで室戸方面へ飛ばしていた。見知らぬ子供を家にいれるのはイヤだったし、しばらく家にこもっていたので、ドライブしたくなっていたのだ。どこへいこうか…優紀にとってみれば理恵は通りすがりな子供であまりかかわりたくなかった。手っ取り早くつまり、子供だましが欲しいと思った。 しかし、優紀にはどう考えても理恵が喜ぶ姿が想像できなかった。とりあえず相手は子供なので、やなせたかしアンパンマン美術館をめざしてドライブすることにした。高知市街を抜け、仁淀川を渡ったところで、理恵がトイレに行きたいと騒ぎだした。それならと、優紀が向かったのはロードサイドのショッピングセンター”サニーアクシス南国店”だ。何度かいったことがあり、それなりに使えるトイレがあることを知っていたからだ。

サニーアクシスにつくと、理恵はとりあえずトイレにかけこむ。洗面台でピルケースの薬をあおる。気分がすぐ良くなるわけではないが、とりあえず安堵といったところか。気分がわるいことより問題なのは、くすりの効き目がきれてしまったことだ。気分がわるいのはあくまでも副作用でしかない。くすりのおかげで、このさわがしい時期の日本でなんとかままごとがやっていけている。実際、勘がするどくなる効用があることで、恵一しだいの行き当たりばったりのこの旅はいまのところうまくいっているようだ。理恵は、誰かに薬を飲むのを見られてもかまわないと思うのだが、旅にでるときにした先生との約束は破りたくないとも思っていた。

「あと6時間かあ」

ためいきに似たつぶやきは、

「突っ走るだけ突っ走るよ、先生」

励ましにかわった。

 

*****

 

トイレから出てきた理恵は、トイレのそばでまっていた優紀に、

「まってなくても、ちゃんともどれるからいいのに」

と言い放った。生意気な理恵の態度をとがめるでもなく優紀は

「そう、ちょっと服を見るから、そこいらで遊んでてね」

と理恵に500円玉を渡すと婦人服売り場へ行ってしまった。

さて、高知には皿鉢(さわち)なる料理がある。皿鉢料理は一皿一万円ほどの冠婚葬祭用料理である。盛られる料理には大きく鮨盛りと刺身盛りに分かれ、刺身盛りは一万四千円ぐらいする。だいたい3ー4人分が一皿に盛られている。もちろん、自前で料理する家もあろうが、たいがいは出前してもらうものになっている。高知には仕出し料理屋が東京都区部の出前ピザ屋並にある。値段にみあうとはいまいち思えないが、結構おもしろい。一ついっておくと、東京とかで郷土料理として出るものとは違うものであるからよろしく。理由はいろいろあろうが、見栄を張ろうとせずに、「お客」によろこばれそうな料理をあつめたところに、見栄より食欲に忠実な南国ならではの気質がみえる。

 

なにか思い立った理恵は、ゲームコーナーを横切りショッピングセンターを抜け出した。車が途切れるのを待って、反対側へ渡る。そして、南国バイパス室戸方向の車道で親指を立てた。

 

理恵が見たデジャブは仕出し屋の軽ワゴンが止まるところであり、かつ、いますぐ乗れば大日寺に行ける、ということを感じたからである。

 

確信のなせる業か、理恵は難なく既視感のある軽ワゴンを止めることに成功した。

大日寺まで乗せてって」

ぶっきらぼうに告げたお願いはなぜか通じ、

「ああ、乗っときな」

左前のドアがあけられ助手席に迎えられる。車には40代位のいかにも料理人といった感じのおやじと配達を待つ皿鉢がのっていた。

「さわんなよ」

理恵は

「はい」

とだけ答えた。助手席から手をのばしても、シートベルトでつかえて、大皿には手はとどきそうにはなかったが。理恵は眼をつぶった。

 

既刊再掲「すこし FUSHIGI」【1回目】

「すこし FUSHIGI」【1回目】

 

  夜行の高速バス、東京八重洲発ー高知駅行き、消灯間際の車内で、男は眠っていた。その前どなりの席には、今し方初めて会ったばかりの少女も、眠っていた。

  少女のバス代を青年が出したのは、本意ではなかった。が、夜行バスの時間が迫るなかで、交番で足止めを食らうのはイヤだったので渋々と出したのだった。

「少女は、どうしておれなんだろう」

青年はつぶやいた。寝言なのだろうか、それはわからない。

「パパ、パパ」

と呼ぶ小学生を無視する男、それが東京駅での中井恵一(なかい けいいち)の姿だった。警官に見咎められたのが運のつきだった。少女の意図は恵一にはまるで見えなかった。ともあれ、少女は高知に行くことになった。何もいわないが顔には安堵とともとれる笑みが浮かんでいた。

  消灯してやっと落ち着いた車内で恵一はおきあがり、トイレに立った。なんとも間がわるいが、いつものことである。賃貸マンションの四階に住んでいるのに朝決まりごとのように一階に着いてから忘れ物に気付くのはいつものことだった。終業間際に仕事を頼まれ、帰りそびれ内心じたんだをふんでいたり、とにかく要領が悪い。名前が恵一なのに何に恵まれているのかと冷やかされることもある。もし、取り柄というべきものがあるとすれば、状況に対する鈍感というか、図太いというか、根気強いというべきところがある。だから、希望の職種でないにも関わらず、不平ひとついわずに経理業務をこなし、周囲がもらす会社の経営危機のうわさにも、平然としていられるのだろう。実際、恵一の口癖は

「場が読めないもんで」

で、会社でうまくやれているか評判を気にしながらも一方でどんな評価も言われなければ、気にすることはないと念じているようである。

 

*****

 

  用をたして、席にもどった恵一は、本腰をいれて寝ようと席のリクライニングを倒そうとした。しかし、後ろの女性の席ごしにけりをくらってしまう。暗い車内でのこと、どうにもしようがないと恵一は席をたおすことをあきらめ、そのままの状態で寝ることにする。

  消灯前に流れていた映画を見ているそのままのリクライニング状態といっても頭ひとつぶんぐらいはたおれているので、寝られなくもないといったところが救いだった。

  この夜行バスは、よくある両サイド二列づつの観光バスと異なり、三列シートになっており、座席の前後間隔にも余裕がある。いわゆるハイデッカータイプのバスである。長距離移動向けのバスなのだが、車中泊をするには所詮はバスなので快適というにも限度があるし、なまじ快適なのでかえって細かいことでもめやすい気がする。車内は寝静まったようだが、恵一にとっての夜10時は、気ままにパソコンにむかう時間であり、下手をすると、仕事中よりもさえているかも知れない。そもそもの原因は大学生時代ずっと、テレホーダイを利用してインターネットをしていたのが原因で夜型生活になっている。しかも最近では会社でうけるストレスからか真面目に不眠気味になっている。寝付きがわるいのだ。しかも、暗所恐怖症なので、照明をなかなかけせずないのもあるようだ。しきりにシートの上をうごめいていたが、結局、デイバックからMDを取り出した。山崎まさよしを聞きながら、このバスにのるまでのことを整理しないと、と、想いをめぐらせはじめた。

  警官に、急に肩をつかまれて、ヘッドホンをしていたこともあって、ほんと飛び上がったかと思ったな。彼は思い出し笑いをそっとした。今考えると口からでまかせだっただろうけど、

「お父さん、逃げないで」

は何かどきっとさせられて、逃げ切れなくなって連れてきてしまった。慣れないことをしたばちでもあたったのだろうか。いや、たまたまあの子の感覚と合ってしまったのだろうなと、考えることをきりあげ、カーテンと窓のあいだに頭をいれた。恵一には高速道路のナトリウムランプが暗闇を満たすやすらぎそのもののように思えて好きだった。まどろみながらなおも恵一は考えていた、女の子にふりまわされるなんて、ほんと、久しぶりだなとまた少し笑った。なんとか眠れそうになってきたので、恵一はカーテンをもとに戻し、ふたたびもぞもぞし始めた。向こうについたら着いたらどうするかなと何となくおもいながら、寝息をたてはじめた。

 

*****

 

バスがとまる。といっても運転手の交代のためだけの停車だ。お客にとっては、ひととき、エンジン音やロードノイズから解放されるほんの一瞬にすぎない。お客にとってこの静けさはテレビを観ながら寝てしまい、放送が終わって静かになるとかえって目がさえる様な効果もある。少女はそっと目をさますと、手持ちの錠剤を飲みかけの緑茶で流し込んだ。トイレに行こうとと半身をおこしかけたが、順番待ちの人がいるのがみえたので、とりあえずあきらめたようだ。トイレを待つ状況に彼女は、

「あたまわるくなりそう」

というのが感想で、できることならば、

「からだにわるいことしたくない」

という信念をもっているようです。ぶつぶついっています。

  ああ、自分のためだとしても、ここにきたことはマイナスだわ。きっと人って些細なことからへたれていくんだわ。それにしても、素朴というか、こんなに感情むきだしで、よく平気でいられるわね。

 

*****

 

さて、バスは、さしたる渋滞にぶつかることもなく、東名-名神-中国-瀬戸大橋を経由して四国にはいった。東京人には理解できないほど車のいない自動車専用道路をしばらく走り、高知県内にはいるとさらに車線がへる。政治力のなさは道路に現れるらしい。

「新潟はやはり(田中)角栄さまさまってかな」

目が覚めた恵一は以前スキーバスで通りかかった新潟の道が立派だったことを思った。19本もののトンネルがつづく山間部をぬけ、南国インターから一般道におりると、終点の高知駅まではのこり一時間弱となる。一般道に降りると、遮光カーテンが開けられるので、皆一斉に起きることになる。明るくなった社内で恵一は、少女の様子をうかがうと、席をたった。少女のほうは、おきているようだが、身動きひとつせず、前をみている。戻ってきた恵一は、紙おしぼりを差し出した。

「おはよう。疲れただろ?ついてきて後悔しているのかい?帰りもバスだけどだいじょうぶ?」

彼女はおしぼりをうけとるなりいいかえした。

「なれなれしいんじゃないそのいいかたって。名前おぼえていないようね。戸田理恵よ。ちゃんと名前で呼ばないと逃げる、じゃない、いつまでもつきまとうわよこれはゆずれないわ」

「理恵ちゃん、わかったよ」

「おしぼりありがとね」

恵一は、ありがとの声にどつかれたかのように上体をおこして、後ろの自席に逃げるようにもどっていった。

「いよいよ、高知だなあ。いよいよ、だなあ。」

とは言ってみたものの、さすがに成り行きでつれてきちゃったと実家につれていくわけにはいかないしと恵一は思った。

 

*****

 

恵一は理恵をどうするかを考えていた。実家にはつれていけないし、親戚にだまって預かってくれで済むわけがない。高知に残った友達なんてほとんどいないし。とするとそうだな。彼女にたのんでみよう。田中 優紀(たなか ゆき)。彼の手帳にのる数少ない女友達。結婚しているのに、まだ疎遠になっていないのは、彼女の夫がパソコンにうといおかげだ。大学時代に就職活動のために上京してきた彼女に東京をガイドして以降、いまでも東京&パソコン情報源のメル友になっている。恵一にとっても優紀は、高知に関する情報源でしかない。

「「いいひと」がめんどうごとをもちこんだら、きらわれるかなあ。」

自分を「いいひと」といいきる恵一の感覚はさておき、なんとも他人事のような感じだ。実際、かなりきびしい状況で、自分から関わりたくないし、考えたくないのだろう。とりあえず、電話した。メールと違って久しぶりにかける。恵一には当てにできるひとが他に思い当たらなかったし、だれかに話せば何か思い付くかもと考えたからだ。恵一の期待どおり、電話には彼女がでた。

 

*****

 

久しぶりに聞く中井のこえに、優紀は反射的になつかしいと感じた。メールでは少なからずやり取りはあったが、あくまでもパソコンのなかのはなしでしかなく、過去の思い出とは結びつかないべつの世界での話でしかなかった。声で、一気に思い出がふきだした。クラブ活動で一緒だったことをいまと比べると自由で、どこかふわふわした年頃のことを。ひとしきり昔を振り返るのが終わると、恵一は用件をきりだしてきた。その声には緊張のほかに、困惑が聞いてとれる。他人に弱気なのはあいからずのようだ。まずびっくりしたのは、恵一が高知に戻ってきていることだ。じいちゃん子だったのにじいさんの葬式に出なかった時は

「高知を捨てたのか」

誰となく言ってたっけ。法事に引っ張り出されたというのはありきたりだが、すこしは大人になったということかな?何かありそうね。ん?そのことじゃなくて子供を預かってほしいって?

「なに、子供って、いつのまに作ったん? 」

「いや、そういうのじゃない。よくわからないんだ。」

「わからんて、ゆうてもなあ、一緒にきたんでしょ」

ちょっと問い詰めてみたけど、ほんとになりゆきでこんな遠くまでついてきたということぐらいにしか恵一は考えていないようだった。

「そうねえ、とりあえず会ってあげるから。駅についたら連絡して。」

おっとここは慎重に。

「連絡はワン切りでいいから。じゃ、またね。」

 

*****

 

電話がきれたことを確認すると、恵一はほっとむねをなでおろした。とりあえずは脈ありといったところだろう。なんとかこの子をきょう一日だけは預けて、法事の場をしのがなくてはいけない。そうでなくても、なにかとうるさい母に会うのは気が重いのに。優紀にこの子の世話を頼んでしまうのは、単なる逃げなのかもと思ってはみるが、どうにもしようがない。放り出そうにも相手は正真正銘の少女だ。また交番でごねられたら、それこそアウトだ。自称“永遠の”少女なら、とりあえず逃げ出しても警官に呼び止められることはないだろうし、逆に泣きつくことも出来るかもしれないのに。煮詰まった気分をまぎわらそうと恵一は、ひどくゴーストのかかった車内テレビに視線をうつした。NHKの朝のニュースが、全国版から高知支局からのニュースに切り替わったところだった。

高知県内での終戦記念日にちなんだ行事」

物部川での水難事故の続報」

「知事が陳情のため東京へ出発」

どれも当たり障りのないいつもの高知だなと恵一でなくても思うほど話題になりそうもないことばかりだった。朝飯、どうしようかな。仁淀川をバスが渡る。いよいよ高知市街だ。もうすぐ終点高知駅に着く。恵一は毛布をたたんだ。